小説 川崎サイト

 

プレッシャー

 
 プレッシャーがあるとき、それを避けようとして、余計にプレッシャーを増やしたりする。またそれから逃げれば逃げるほど、引力が強くなるのか、より大きな存在になる。
 しかし、現実は変わっていない。これは精神的なプレッシャーの場合で、具体的、物理的なプレッシャーでも似たようなもの。意識がある限り、意識するだろう。
 プレシャーを避けて別の方法を取ったとしても、余計な用事を増やすことになる。その方法で上手く行けば別だが、その確信がないときはヒヤヒヤものだ。プレッシャーが効いているのだ。
 プレッシャーは気の問題で、気にならなければ消えてなくなる。またプレッシャーの根元を直接叩いた場合、大したことはなかったりする。勘違いだったとか、思い過ごしだったとか。
 またプレッシャー回避で、別の方法で攻めた場合、そちらの方が手強かったりする。だから余計なことなどせず、ストレートに行った方がシンプルでいいのだが、やはりプレッシャーがかかると、回避や迂回したがるのが人情。それに大きな感情を使いたくない。これは迫力がありすぎて、刺激が大きすぎるためだろう。非常に嫌な目に遭う恐れもある。そのため、それに向かうには気合いがいる。躊躇なく、すっとできる人はよほどの達人か、肝の据わった人だ。凡人でもそれはできるが、一種の開き直りだろう。しかし、それを開くにはエネルギーがいる。開き直る決心をする気合いがいる。これは魔法のようなもので、すぐに解けてしまう。
 達人は静かに、すんなりと箸でご飯を食べるようにできるのだが、これはイメージで、言い過ぎだろう。逆に喜怒哀楽がなかったりする。苦しいこともないが、楽しいこともない。苦しみがあるから楽しみがある。そして平常心でいられるのは、平常なことをやっているためだろう。
 誰かにとり、それはものすごくプレッシャーのかかることでも、ある人にとっては何でもないことがある。それこそ平常心でできる内容。ここを誤解して見てしまうのだろう。
 慣れた世界、よく知っていることに関してはプレッシャーは少ない。しかしすべてを知っている人はいない。
 プレッシャー回避で、逆に思わぬ副作用を受けることもあるが、副産物を得られることもある。その意味で寄り道も悪くはない。
 すべてが悪くないと思えば悪くない。だからプレッシャーも悪くはないのだろう。
 
   了

 

 


2017年3月21日

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