小説 川崎サイト

 

いないいないばー

 
 昨日と同じような今日が続くわけではない。どの程度同じかにもよるが、同じようなことをしておれば、同じだろう。多少の違いはあるが、いうほどでもない。昨日のおかずは今日とは違う。しかし同じような時間に、ご飯を食べているし、特に際立ったおかずだったり、または食べに行ったとしても、これも範囲内だろう。
 それよりも夕食を忘れたり、食べる気がしないほど緊迫した状態の方が違いは大きい。食べ方が違うのではなく、いつもならないようなことが起こったのだろう。これは悪いこともあるが、良いこともある。大きな変化だが、望んだものか、望まないのに来てしまった災難もある。
 例えば急に腰が痛くなり、歩くのもしんどくなったとき、日常の、いつものペースが狂う。軽く痛いだけですめばいいのだが、出かける場所が限られたり、また、歩くのもしんどい場合は、日常の立ち回り先にも寄れないだろう。
 それらはいつもの日常の中でいきなりやって来たりする。当然腰痛に限らず、様々な厄介事も。そのため、昨日と同じような今日というのはそれほど長くは続かない。何処までが日常範囲なのかは曖昧だが。
「災難やトラブルは、ほどほどにある方がいいのですよ。これは地震と同じで、小出しに来ている方がいいのです。溜め込むと大地震ですからね」
「溜める気はないのですが」
「まあ、平穏な日々が続いているのは、奇跡のようなものですよ。あと一センチのところで、トラブっていたりしますよ。また、数秒の違いも」
「しかし、平穏に戻ったときはほっとします」
「それは、いないいないばーです」
「そんなバーがあるのですか」
「赤ちゃんはそれで喜ぶでしょ。ほっとして喜んでいるのかもしれません。いないと思ったのに、いた。しかし、それをやる前から、いることは何となく分かっているのでしょうねえ」
「旅行に長く出ていて、自分の町に近付いて来るとほっとします」
「失せ物が出て来たときもそうでしょ」
「はい」
「まあ、何かあったとき、それが日常に戻ったときがいい感じなので、それを楽しみにすることですなあ。しかし、抜けないトンネルもありますがね。それは単なる穴だったりします」
「はい」
「また、取り戻したときも、ほっとするでしょ」
「はい」
「普段は、日常など有り難くはありませんが、なくすとベースが変わり、不安定になります。まあ違ったベースでもそのうち慣れてきますがね。そんなとき数年前の日常を思い出したとき、どちらがよかったかは曖昧です。住めば都といいますしね」
「はい」
「人も動物ですから、動くものです。動くようにできています」
「はい」
「どうしました。返事が淡泊ですが」
「そういう話、もう聞き飽きるほど……」
「ああ、もう日常話になってしまいましたねえ」
「はい、いつものお話、ありがとうございました」
「いやいや、昨日と似たような話でした」
「はい」
 
   了




2017年4月1日

小説 川崎サイト