小説 川崎サイト

 

商店怪

 
 子規駅前にある商店街は、この時代にしては賑わっている。駅に続く道沿いにあるためか、人通りが多いのだが、それら通勤通学の人が買い物をするのだろうが、店屋をのぞいてみると、年寄りが多い。駅へ行くついでではなく、ここに来ているのだ。そのためか、シャッターの閉まっている店は一軒もない。
 八百屋と果物屋が結構複数あり、テーラーや履物屋もある。靴屋ではなく、下駄とか草履が売られていたりする。傘屋もあり、修繕をその場でしてくれるようだ。また提灯屋がある。実際に店の中をのぞくと、貼っている。あんまちちもみ、やいと、ほねつぎなどの看板が並んでいる。また商店街の中に目医者や歯医者があり、昔からあるような古い建物だ。産婆と書かれた建物もある。
 平岡はその洞窟のような商店街を自転車で抜けようとしたのだが、客が多いので、降りて押していくことにした。昔なら、何処の市場もそんな感じだったのだが、最近は寂れている。それに比べると、この子規商店街は奇跡のように賑わっている。
 市場の中程に細い横道があり、そこに入って行く人が多いので、平岡もついて行った。自転車なので、すれ違う人を避けないといけないほど狭い。その入り口に何やら書かれていたのだが、見ていなかったが、前方を見ると、すぐに分かった。線香の匂い。水掛不動があるらしい。そばまで行って確かめる必要はないので、引き返す。
 非常に明るい店があるので覗くと、駄菓子屋。しかし、袋物ばかりで、昔のそれとは違う。明るく感じたのは、その光沢のある派手な袋の絵柄だろう。
 その並びに飴屋があった。これは珍しいと言うより、そんなので食べていけるわけがないと思える。なめた話だ。しかし、客が結構入っており、大きな丸いあめ玉を入れ歯のようにその場で入れているお婆さんがいる。頬に瘤ができ、瘤取りばあさんのように見える。
 若い人や子供もいる。当然電車に乗るため、ここを通っているのではなく、近所の人だろうか。肉屋や魚屋、何でもある。
 しかし、そんな商店街はいくらでもあったのだが、今は寂れている。だから、ここは奇跡的なのだ。しかし、この奇跡、あり得ないのではないかと平岡は徐々に思い出す。それは客だ。
 何か様子が違う。確かに買い物客がいるから店は持つ。やっていける。寂れないで営業し続けられる。だから、客がいることが大事なのだが、その客が問題なのだ。
 ここの客はおかしい。様子が少しだけ違う。
 それに気付いたとき、平岡は急いで商店街を抜け、太陽の下に出た。
 そして、洞窟のようなアーケードをもう一度見ると、暗い。人がポツンポツンと通っているだけ。
 さっき見た客は、何処かから沸いて出て来たのではないか。この近くの人でも、通勤通学の人ではない。何処かから湧き出た人たちなのだ。
 または平岡が駅前から入った商店街の穴は、別の穴だったのかもしれない。
 
   了

 


2017年4月4日

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