小説 川崎サイト

 

 
 富岡は数十年ぶりに池川の町に来た。すぐ近くの町なのだが、行く機会がない。昔も今もこの町に来る用事がない。しかし一度も来なかったわけではなく、五回以上は来ているだろう。ただし車とかバイクで通過したのを含めて。駅前にある喫茶店に入った記憶はあるが、何の用事で来たのかはもう忘れている。きっと誰かと会っていたのだろう。
 今回、この町を訪れた理由はさほどない。用事ではなく、その近くの町に用事があり、近いので、立ち寄っただけ。
 誰と会ったのかはもう忘れたが、喫茶店があった場所は覚えている。当然今はそんな個人喫茶など、消えていて当たり前。現にそれらしい店は見当たらない。位置もよく覚えていないのだが、商店街のアーケードに入って少し歩いて薬局の横にあった。結構そんなことは覚えているのだ。
 富岡は山歩きが趣味だが、足腰が弱り、呼吸も苦しくなるので、坂道がしんどくなり、市街地歩きに変えている。里山ではなく、平らな町。いつでも帰れるように交通の便のいい場所。
 池川の町もそれに近いのだが、山がそこまで迫っている。そのため、山手へ行くほど坂が多くなるのだが、その程度なら歩ける。
 商店街を抜けると、少しだけ古い家が目立つ。古い形をした屋根瓦のある昔の商家。もうそんな瓦は作られていないだろう。そのためか、瓦の代わりにトタンを乗せ、補強している。いずれ取り壊すのだろう。その大屋根のトタンの向こうに城が見える。天守閣だ。この町にはそんな城はないが、富岡が立っているその場所自体が城南町。それは標識で分かる。だからここは城下町跡。しかし、以前は天守などなかったはず。
「あそこへ行くには、その先の路地を抜けると早いですぞ」
 いきなり老婆が後ろに来て、説明し始める。ボランティアではないようだ。散歩中の近所の人だろうか。
 また、城への道順などを示したプレートも見当たらない。老婆が教えてくれた路地は、これはもう余地だ。他人様の敷地ではないかと思えるほど狭い。苔が生えており、あまり人が歩いた形跡がない。しかし、苔は両端にあるだけで、地肌が見えている。通る人がいるのだ。近所の人だろう。この老婆もその一人のはず。
 富岡は言われた通り、その路地に入る。隙間から天守が見え、そこに人が上がって町を見下ろしている。部屋が一つぐらいの二階屋ほどの小ささだが、高台の上にあるためか、聳え立っている。周囲に高い建物はあるが、その丘よりは下。丘は山の続きのように飛び出し、そこに城郭があったようだ。
 路地を抜けたところで、広い場所に出たが、川だ。城の堀ではなく、普通の川。しかし谷は深い。遠くから見えていた城は、ここまで来ると、もう見えなくなっている。だが、崖すれすれに家が建ち並び、ここでも人が暮らしているが、家はどれも新しい。
「城に行くには、その鶯谷を超えることじゃ」
 また、いきなり後ろから老婆の声。
 鶯谷とは、この深い谷だろう。奥の方を見ると、橋が架かっている。それで渡れるはず。そこからが城内になるようだ。
 橋へ行くには急勾配の小道を登らないといけない。その上に大きな道があるのか、車の音が聞こえる。橋はその道路のものだろう。そして、池川城へ車で入って行けるはず。
 富岡は、今では苦手になっている坂道を登る。数歩で足が重くなり、汗が出てくるし、息が荒くなる。これを避けるため、市街地の散歩に切り替えたのだが、登れないわけではない。何度か休憩しながらなら歩を進められる。
 登り切ったところに道路があり、車が通っている。公園だ。しかし、里山公園のようなもので、その上に展望台があるようだ。城の公園ではない。老婆の言うように鶯谷を超えないと行けないのだ。
 売店があるので、そこで鶯谷に架かる橋を聞いてみた。おそらく城への正面入り口だと思えるので、簡単に答えてくれると思ったのだが、そうではなく、そんな橋などないと言い出す。
 鶯谷は山間から流れ出した川で、橋があるのは市街地に入ってから。橋がないのは、道らしい道が横切っていないため。
 富岡は鶯谷が見えるところまで行くと天守が小さく見える。かなり離れてしまった。しかし橋がないので、まっすぐには進めない。
 公園のベンチで休憩していると、バスが来ていたので、これ幸いと、すぐに飛び乗る。ベンチとバス停が近かったのがよかった。
 そして、池川駅前で降り、電車に乗って帰ろうとしたとき、また老婆の声。
「昔、会いましたよね」
 老婆が笑ったときの目と目の間にできるシワとイボを見て、一気に思い出した。
 大昔に文通で交際し、一度だけ会ったことがある。その後、二人とも手紙のやりとりはピタリとやめている。
 老婆は微笑みながら、商店街のアーケードへ。そして、少し行ったところにある薬局の横にある喫茶店に入った。
 富岡は家に帰ってから池川城について調べたが、徳川時代になってから、廃城になり、その後再建されることはなかったようだ。そんなことがあれば、近くの町なので、富岡の耳にも入るはず。
 あの城は最初から辿り着けない城だったのだ。
 
   了




2017年4月10日

小説 川崎サイト