小説 川崎サイト

 

悪の十字架

 
 これは店が開くのは十時かと、呟いている人の話ではない。早く来すぎたのだろう。
 悪の十字架、これは悪魔の十字架であり、別に十字架でなくてもかまわない。十字架は人が作ったものだ。神と一緒に。
 神より先に悪魔がいた。これは呼び方は色々ある。あまりいいものではなく、人々に災いをもたらす有り難くない現象。それさえなければ、それなりの暮らしを続けられる。しかし長い人生の間には、色々と問題が発生する。その全てを悪魔の仕業とするには、悪魔も迷惑だろう。
 人災であっても、それが起こる背景に、人では何ともしがたいものが動いていることもある。人は時には何でもしてしまうことがある。
 悪魔、魔人、これは人称。人に近い。その多くは獣のような姿をしている。人ではなくケダモノ。だから人の道理は通じない。
 自然災害は悪魔の仕業とは言い難い。悪魔がいくら貧乏揺すりをしても、地震は起こらないし、くしゃみをしても嵐にはならない。
 神に先だって悪魔が登場し、その悪魔の仲間から神が生まれたとするのが悪の十字架だ。しかしこれは日本の神仏もそうではないかと思える。ただし、もっと原始的なもので、悪に相当するものを神仏として崇める。悪も悪い気はしないだろう。
 悪を鎮めるため、大人しくじっとしてもらうため、拝み奉る。これは宗教以前の話だろう。
 悪心を起こすのも、悪魔の仕業となると、悪魔も迷惑だが、それも背負ってもらう。これが悪の十字架。
 その店の前で悪の十字架かと、呟いているのを聞いた横の人は、開店時間が早くなって九時から開いていますよ、と親切に教えてあげた。見れば分かることだ。シャッターは上がっている。
 その男、次からは悪の苦事か、となる。
 
   了
 
 

 


2017年4月18日

小説 川崎サイト