小説 川崎サイト

 

微睡

 
 初めは何かを考えながらとか、思いながらとか、あるいはふと頭に中で浮かんだことなどをそれなりにその先へ向かっていくのだが、ある時点で自動的に転がり出し、意識はあり、意志はあるのだが、それがオート運転に切り替わり出す。
 これが作田の寝入りばなでのいつものコースなのだが、オートへのバトンが上手く渡せないで、マニュアルのまま先を続けると、意識がしっかりしだし、寝入るどころか目が冴えてくる。しかし、目は閉じているが、キョロキョロと黒目が動いている。ここで瞼を開けると本当に起きてしまうので、そのカーテンだけは何としてでも閉め切っておきたい。
 しかし、意識的回転が刻み出すと、目を開けたくなる。目を閉じているのが逆に苦痛となるため。
 そして我慢できず。目を開ける。これで一巻の終わりで、寝入りばなの緒戦に敗れたことになる。
 そこからまた眠りに入ることはできるが、しばらくは眠りへのとば口は開かないため、横になっているだけのこと。しかし、意を決し、目を閉じる。これが合図だ。意識に言い聞かせる。目は閉じたと。
 すると今度はすぐに意識的なリードから、あるところで自動運転になるのか、意識的ではない展開になり始める。勝手に絵が回り出す。色々なシーンが先へ先へと連れて行ってくれる。「しめた」と作田が思った瞬間自動運転が止まり、手動となる。「しめた」という意識が邪魔をしたのだろう。「何がしめた」かだ。上手く軌道に乗ったぞ、ということだが、それを意識した瞬間、そこで止まってしまう。
 そしてまた意識が明瞭になり、眠りへの誘いの自動運転から遠ざかる。
 そういうとき、作田は思い疲れることでいつのまにか意識が弱まることを知っている。そのコースは結構時間がかかる。ものすごい夜更かしをしているようなものだが、何処かで疲れ、手綱が切れる。
 要するに頭が冴えて眠れないだけの話だが、快いまどろみは、気持ちがいいものだ。作田はそれを楽しみにしているわけではないが、うとうとなりかけたときが気持ちいい。その気持ちよさはまだ意識があるので感じられることで、それはほんの僅かな時間かもしれないが、少しは間がある。一瞬ではない。
 このまどろみを微睡と言っている。睡眠としては浅い。そのとば口。
「こういう快感は他でもありませんか」
「他」
「同じような気持ちよさの娯楽のようなものが」
「あるでしょうねえ。夢のような話しになりつつあるようなシーンとか」
「はい」
「夢のような展開になるような、その夢ではなく、その入り口です。夢の中に入る前。今からそこに入るというあたりです」
「わくわくするような」
「そうです」
「でも頭が冴えてしまいそうですが」
「そうですねえ。だからうっとりとなるようなシーンが好ましいですねえ。それは恍惚でしょうねえ」
「そういうの、売ってますか」
「映画やドラマや劇、絵画や当然音楽や写真でもあるでしょうねえ。ただ、何処でうっとりとなるのかは相性もあるので、どれがそうだとは言えませんが」
「じゃ、やはり、寝入りばなのうっとりの方が安いですし、何もしなくても手に入るので、いいですねえ」
「そういうことです」
「しかし、寝入りばなの自動運転に失敗すると、なかなか寝付けなくて、遅刻しそうです」
「はい、何事においてもリスクがあるものです」
 
   了

 


2017年4月20日

小説 川崎サイト