小説 川崎サイト

 

移動豆腐屋

 
 浦山は外出するため自転車の前籠に鞄を入れようとしたとき、声が聞こえてきた。近所の人ではない。おいしい豆腐如何ですかと女性の声。テープだ。しかしテープ状のに録音されたものではなく、内蔵メモリのようなものに記録されているのかもしれない。要するに物売りの声で、移動販売車。狭い道でも入り込めるようにか、軽のワゴン。
 浦山は子供の頃、豆腐売りを見ている。おそらく最後の世代だろう。豆腐屋は自転車で来ており、チリーンと鈴のようなものを鳴らしたり、ゴムのラッパの場合もあるようだが、その町内では鈴だ。ゴムのラッパは押さないとだめだが、鈴は振ればいいし、振動で勝手に鳴ったりもする。
 声を出す人はいなかったが、おそらく「とーふぇー」といいながら売りに来たのだろう。
 丁度朝の味噌汁に入れる豆腐が切れていたので、浦山が手を上げると、車は玄関先で止まった。中から二人出てきた。若いカップルのように見えるが、夫婦だろうか。両方のドアから二人も出てきたのだ。助手席の女性だけでも十分なはずなのに。
 浦山は一番小さいのをいうと、木綿しか残っていないらしい。コンビニで買えば二つか三つほどがセットになったタイプの一つ分程度の小ささ。値段は三倍。
 しかし、小さな豆腐なので、百円台。こういうのを売り歩いてどの程度の収入があるのかは分からない。普通のサイズは二百円ほどだろうか。しかし豆腐一丁の大きさの三分の二ほど。それを一丁とした場合でも十丁で二千円。百丁で二万円。しかも二人で来ているので、百丁出ても日給は一人一万円。これは売上げで、豆腐の仕入れ代やガソリン代もかかる。
 一日回れば百丁出るかもしれないが、車に百丁も積んでいないようだ。何処かに巣があり、そこにまた戻るのかもしれない。
 新しい商売ではなく、古くからある豆腐屋が流行らなくなり、豆腐屋の息子が始めたのかもしれない。それなら原価はそれほどかからない。
 浦山は出掛ける前なので、玄関を開け、すぐに買った豆腐を冷蔵庫に入れた。
 そして出掛け直したのだが、路地の向こうに豆腐屋の車が止まっている。数軒先の家の前だ。そこに一人暮らしのお婆さんがいる。待っていたのかもしれない。昔なら鍋を持って買いに行っただろう。鍋がいらなくなった分、楽といえば楽。
 その車で道が狭くなりすぎているので、反対側から回り込んで、大通りへと出た。
 そして戻ってから、この高い豆腐をどうするかと考えた。朝の味噌汁に入れるのはもったいない。そして木綿豆腐。いつもは絹こしを買っている。
 そして木綿を買うのはおでんに入れるか、湯豆腐にするかだ。
 豆腐だけを純粋に味わいたい。倍以上の値段を味わいたい。そうなると、湯豆腐が一番叶っている。そして昆布を敷くとか、そんなことはせず、豆腐だけをつけ汁で食べる。醤油と酢があればいいだろう。
 そして浦山はご飯と湯豆腐だけで夕食を済ませた。高いだけあって豆の香りがした。しかし豆腐は高いが夕食代は安く付いた。
 その後、浦山が出掛ける時間になると、あの豆腐屋が玄関先をゆるりとしたスピードで通過するようになった。浦山が買わなくても、その先のお婆さんが買うのだろう。だから、婆さんが豆腐屋の声を聞いて、奥から出て来る時間を計算して、ゆっくりと近付いて来るのかもしれない。
 
   了

 


2017年4月23日

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