小説 川崎サイト



便所の神様

川崎ゆきお



「便所に神様がいたんだよな」
「食べてる時に、汚い話、しないでよ」
「神様は汚くないだろ」
「トイレ」
「ああ、そうか」
 彼女は糞まみれの老人を連想したようだが、沼田の言う便所の神様は人の姿ではなかった。
 沼田は少年時代、便所の神様を信じていた。
 そういう名の神様がいるのではなく、便所に神秘的なイメージを持っていたため、それを指して神様と呼んでいた。
 だが、神様のことは誰にも口にしていない。口にするとバチが当たると思っていたからだ。
 その頃の便所は、まさに便所で、便の場所だった。
 くみ取り式で、床下に便壷が埋め込まれていた。地底に通じているのではないかと思えるほど深い。
 沼田の家の中では仏壇を除けば最も神秘的な場所だったと言える。
 さらに男子用の朝顔の裏に妙なものがぶら下がっていた。新聞紙でぐるぐる巻かれ、野球のボールほどの大きさだ。それを紐で吊るしてある。
 大人になってから母親に聞くと、それは沼田の大便らしい。赤ちゃんの頃のもので、記念品のようにぶら下がっている。
 子供の頃、聞かなかったのは聞いてはいけない存在だと感じたからだ。それだけでも神秘的だ。
 そのウンコは、沼田が病気をし、どの薬も効かず、死にそうになった時、最後の特効薬として飲むために用意していたようだ。
 便所の神様は沼田だけの神様だった。沼田がそう思っているだけのことなのだが、思えることが大事だろう。そうでないと神様レベルの信仰は生まれない。
 沼田は何か悪いことをすると、便所の神様だけには謝った。汚いもののの捨て場のような感じかもしれない。
 沼田が成人した頃には水洗トイレとなり、例のウンコの包みも捨てられていた。特効薬として効くのは子供の頃だけのようだ。
 水洗になると、地底の地獄まで通じているのではないかと思えるような、あの穴も見えなくなった。
 沼田から便所の神様が抜けたのは大人になってからだ。もうそんな神秘を信じなくなっていたためだ。
 しかし、自分専用だったあの神様が妙に懐かしい。
 
   了
 
 
 


          2007年4月19日
 

 

 

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