小説 川崎サイト

 

言ってしまった禁句

 
「引く時期ではなかったということですか」
「早すぎる。それでは悪い履歴が残る。辛抱が足りないとかね。そういう人に思われる」
「じゃ、どのぐらい」
「三年」
「それは」
「君は三ヶ月だ」
「本当は初日にもう決めました。三日持たないと。それを三ヶ月も我慢してきたのですから、十分です。三年なんて」
「それほど悪い場所だったのかね」
「いいえ」
「じゃ、どうして」
「何となく」
「それでは理由にならんだろ」
「こんな人達と一緒に一生働くのかと思うと、真っ暗に」
「一生いるつもりだったか」
「そうです」
「一生いるつもりで三ヶ月かね」
「条件が違っていましたし」
「そんなことは当たり前だ」
「でも、万事がそんな感じに思えて」
「それはいいが、挨拶はしたか」
「え」
「だから、退職届を出したかと聞いている」
「出しました」
「よし、それで、けじめが付く」
「メールですが」
「メール」
「やめますとひと言だけ。これもいらないと思ったのですが、一応出しました」
「引き際が肝心だ。タイミングのことをいっているんじゃない。終わりは始まりだ。そんな逃げるようにやめたんじゃ、いい始まりにはならん」
「次は、もう決まっています。もう始まってます」
「早いな」
「三日目から探し始めましたから、これが実は始まりなんです」
「そのことではない。君自身の姿勢が問題なんだ」
「意味が」
「去り際も大事なんだ。しっかりと後始末をして、詫びるべきことは詫びる。終わり悪ければ初めも悪い。そんないい加減なやめ方ではだめだ」
「もう終わりました」
「何かから逃げるのも悪くはない。仕方がないからな。しかし、引き方というのがある。そんなメールひとつでは」
「そのあと、何も言ってきません」
「そんな問題じゃない」
「私物を残していったのですが、それは戻らなくてもかまいません。きっと捨てたと思います」
「尻を割って、逃げた。それだけのことになってしまう。それなりの事情を話すべきだった」
「しかし、やめたので、一泡吹かしたはず」
「君はそうして都合が悪くなれば、逃げる。逃げ癖ができてしまう。それが心配だ」
「はい」
「次もまた逃げることになる」
「ああ、それはまだ」
「どんな仕事も辛いもの。みんな我慢してやっているんだ。気楽な仕事など世の中にはない。平凡な人間でも、それに耐えて働いている。誰にでもできそうで、実はできないのだ」
「はい」
「それで君はどんな仕事ならいいんだ。君の将来のビジョンを聞きたい」
「実は」
「言ってみなさい」
「働きたくないのです」
「それを言っちゃ、おしまいだ」
 
   了


2017年4月27日

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