小説 川崎サイト

 

今里

 
「今、今、今、の気持ちがその人の世界を作っているのですよ」
「今が私の故郷なら、それは今里ですねえ」
「それは地名でしょ」
「そうでした」
「しかし、それは今、思い付いたのでしょ」
「そうです。今と言えば今里です」
「その町が何処にあるのかは知りませんが、今里と関連付けたわけでしょ」
「つい」
「それが世界なのです」
「世界地図の世界ではなく?」
「そうです。今は区切られます。今、そう思ったことはすぐに過去になり、一つのエピソードとして残ります。固まりとしてね。それらはあなたの世界の地図に加わります」
「昔、思っていて、今はもう忘れたこともですか」
「思い出せば出てくるのなら、まだ世界の中にいます。あなたの世界では有効です。それがもう終わってしまったことでも、記憶として残っていれば、地図にその領域があります。完全に忘れてしまっていることなら、あなたの世界の中の何処かに入っているのでしょうねえ。しかし、忘れているので見付からない。分からない。だから秘境のようなものでしょう」
「しかし、記憶していないことも自分の世界なのですか。認識できないのに」
「その世界は隠されているだけで、消えたわけではありません。何処かで出てくるでしょう」
「一人一人が頭の中に世界を持っているのですね」
「そうです」
「じゃ、他の人達は別々の世界を見ていることになりますが」
「実際にはそうなのですが、よくあるような世界を見ているので、似たようなものを見ているのです。しかし、同じものを見ているはずでも感じ方や認識の仕方などが違うでしょ。そうでないと、全部が全部自分になってしまい、他人などいなくなりますからね」
「それよりも、今の蓄積が自分の世界なのですか」
「そうです。今の蓄積といっても、気持ちとか、そういったものも含まれます。感情的なね。これが世界を作っているのです。難しく言いますと、具体的ではないイメージのようなものです」
「はい、難しいです」
「たとえば、嫌なことがあった。根に持つ。根に持つとしんどいので忘れようとする。または残らないように願う。それで、すっきりと忘れてしまえることもありますが、いつまでも残ることがあります。怨念とまでは言いませんがね」
「精神的に傷ついたとかですか」
「まあ、その部類ですが、自爆の例もあります。相手は悪くないとかね」
「はい」
「そして今というのは、そういったものがどうなったのかの最先端箇所です」
「怨んだままの世界もあるのですね」
「それで世界の見え方が違ってくるでしょ。世界というほど広くはありませんが、根深いところにフィルターのようなものが被さっているわけです」
「はい」
「そして、今というのが大事なのは、その恨みなら恨みの情が消えることがあります。別の今との遭遇で、消えたりします」
「宝くじをいくら買っても当たらないのに、やっと当たったあとのようにですか」
「それもあります」
「要するに今の感情が世界を作ります。どう思ったのかの連続です。そしてそれは変化します。感情のセンサーも変化していきますからね。それと共に世界もまた違ってきます」
「はい」
「そして人は快適な気持ち、快いものへ向かいたがるものです。それがそもそも苦痛の始まりなのですが、そういう話ではありません」
「何の話でした」
「あなたの世界は刻一刻今作られているということですよ」
「しかし」
「何ですか」
「世界とはまた大袈裟な」
「あなたが認識できるもの、それが世界の全てです」
「でも認識できなくても、世界はあるのでしょ」
「内臓の動きなどもそうですね」
「だから、思っているものだけが世界じゃないはずですよ」
「しかし、実体は永遠に辿り着けませんから、私達は全員イメージを見ているのですよ」
「難しい話です」
「簡単です。ただの気持ちの動きだけの話です」
「僕は、今とは、自分の世界の故郷、今里。これだけで十分です」
「それはただの語呂ですがね。しかし、今の里で、今里。悪くないです。それこそがあなたの世界です」
「はい」
 
   了



2017年5月5日

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