小説 川崎サイト

 

白川翁の評伝

 
 まだ生存しているが、多くの評伝が記され、その評価も決まった老人がいる。評伝とは伝説についての解釈が含まれており、実際にはこんな人ではなかったのかと、その生い立ちから、何をやってきた人なのかが記されている。そして、どういう気持ちで、何のため、とか。評論のようなものだ。ただ、この老人、まだ生きている。今後の動きで評伝も変わるかもしれないが、ある年代で、それはもう終わっている。その後の活躍はないし、話題になることもない。
「世の中は間違いが多い」白川翁が静かに語り出す。
 白川翁宅へ珍しく若い人が来ている。
「先生の評伝を読んで感動しました。凄いことをなさった方だったのですね。近所に住んでいるのに、知りませんでした」
「あれは全て間違いだよ」
「え、でもいろいろな本で、同じことを言ってますよ」
「本当はねえ、嫌々ながらやっていたことでね」
「でも魂の籠もった、丁寧なお仕事を」
「あれは面倒でねえ。投げやりでやった仕事だよ」
「しかし、色々なお仕事をされていますよ。評価は高いです。今、そんな人は希です」
「私は手を抜きすぎたことを反省しているが、世の中はそう受け取らなかった」
「そうなんですか」
「私自身がやった仕事だ。私自身が一番よく知っている。しかしそれは一切語らずにいた。たまに本音を漏らしたりしたが、聞き流された」
「どうしてですか」
「文脈が違ってしまうからでしょ」
「はあ」
「それで、都合の良い風に書いてもらったことになるが、あれは嘘だよ」
「しかし、大事なお仕事をやられたと思います」
「面倒なので、嫌々やっていただけで、やる気もなく、情熱もなく」
「しかし」
「結局私は祭り上げられただけだと、今考えておる。そして、もう必要としない神輿のためか、誰も相手にしなくなった。それでほっとしている」
「近所にいらっしゃるとは思いませんでした」
「それよりも、生きているのに評伝とはおかしいじゃないか」
「そうですねえ」
「分かったら帰りなさい。私は評伝に書かれているような人物じゃない」
「今の状態は評伝にはないのですか」
「それを書く人がいたとすれば、評価が変わるだろうねえ」
「僕が書きます。真説を」
「やめておきなさい。誰ももう相手にしないから」
「はあ」
「本当の偉人もそうだよ。あっちの世界で自分の評伝を読んで大笑いしているだろう」
「はあ」
「私は生きながら笑っている」
「はあ」
 白川翁は謙遜して言っているわけではなかったが、その青年は信じなかった。
 
   了


2017年5月11日

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