小説 川崎サイト

 

知者の果て

 
 印象や感想などは、それまでの経験から浮かび上がることがある。海を知らない人がいきなり海を見たときの感想と、何度か見た人とでは違うだろう。知っているためだ。知覚は対象だけでは決まらないということだろう。いつも近くで見ているものを遠くから見ると、少し新鮮だ。しかし、まったく知らないものではないため、小さく見えるというスケールが加わる。最初から遠くからでしか見えないものとは、また違う。
 また、ただの知覚の履歴だけではなく、それにまつわる経験が加わる。そして好悪も加わるのは、経験の違いかもしれない。多くを知り、多くを経験すれば、良いというわけではなく、何等かのフィルターが被さることもある。知らなければすっと行けるところでも、下手に知っていると行けなかったりする。
 しかし、そういう単純な経験だけで人は生きているわけではなく、そういうことも分かった上で判断する。色々と差し引いたり加えたりするわけだ。
「経験が足を引っ張るわけですかな」
「そういう面もあるでしょ。年寄りほど慎重になるのはそのためかと」
「若い方が怖いもの知らずで無鉄砲なことができると」
「それは私の経験から言っていることで、誰にでも当てはまることではありませんがね」
「物を知ることで馬鹿になるとか」
「物知りほど馬鹿だったりしますね」
「それは手厳しい」
「人をよく知る人ほど人を知らない」
「よく知っているはずでしょ。色々な人達を見てきているので」
「それだけではだめなんでしょうねえ。ものすごい数の人と接している人が、人を見る目があるとは限りません」
「では、どうすればいいのでしょう」
「そういうことを自分で考えることです」
「はあ」
「それが一番」
「それも含めて、経験豊富な人もいるでしょ」
「頭を真っ白にはできませんから、白紙の状態で考えることも無理です」
「その場で考えるというのも無理ですか」
「何かに片寄っているはずです」
「困りましたなあ。では、どうすればいいのですか。あ、これは自分で考えなさいということでしたね。では、他の方法は」
「成り行きとか、たまたまが、結構効きます」
「偶然ですか」
「そうです」
「それは何ですか」
「カンのようなものかもしれませんが、違うかもしれません。カンも何等かの引力で引っ張られていますからね」
「最終的には何でしょう」
「何でしょうねえ。それを決めないことですかね」
「何を」
「だから、方法をです」
「自分なりの方法というか、考えですね」
「そうです。それが先ず臭い」
「臭い」
「臭いものにずっと引っ張られています。自分自身の結界のようなものでしょう」
「じゃ、神頼りで、おみくじでも引けばいいんですか」
「どう判断するかが分かっていれば、つまらんですよ」
「はあ」
「よく分からないから、いいのです」
「あなたのお話もよく分からないですが、あまりよくはなかったです」
「あ、そう」
 
   了


2017年5月13日

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