小説 川崎サイト

 

気が付けばそこにいた

 
 気が付けばそこにいた。失神していたのだろうか。それともいつもとは違うところで目覚めたのだろうか。
「ここは何処だろう」と、三島は見回した。部屋のようだが、病院ではない。知らない家にいるようだが、ベッドがあり、家具もある。本棚もあり、ポスターも貼ってある。三島の部屋だろう。だから、見知らぬ場所ではなく、一番よく知っている場所のはず。
 それなら、いつもの目覚めと同じではないか。しばらくすると「ここは何処だろう」が消え、いつもの三島に戻った。
 眠っている間に長い旅にでも出たのだろう。少なくても十年以上は別のところで暮らしていたような。きっとそれは深い夢を見たためだろうが、その記憶がない。夢を見た記憶がないのだ。
 そういう体験は過去にもある。熱にうなされながら眠りに落ち、起きたときの感覚だ。しかし、三島は熱を出していない。そして、昨夜のこと、昨日のこと、などを思い出しても、特に変わったところがない。いつもの日常が続いていただけ。
 カーテンを開け、外を見ると隣の家が見える。変わったところはない。三島の部屋に変化がないのだから、外もないだろう。
 隣の部屋を見に行くと、そこは足場もないほど散らかっている。三島がトイレへ行くときの隙間が空いている程度。これはトイレ道でもあるし、台所や風呂や玄関に出るときの道だ。これもいつもと変わらない。
 結局いつもの時間に単に起きただけで、その後仕事へ向かった。
 見慣れた道を歩いているのだが、少しだけ様子が違う。具体的な変化はないのだが、コピーのような風景なのだ。そのコピー元はいつもの現実だが、その現実をコピーしたもののように見えてしまう。それは具体的には分からないのだが、どうもコピー臭いのだ。
 そして三島自身も、コピーのような気がしてきた。目覚めたときの違和感は、できたてのコピーだったためかもしれない。
 ある日、何処かでこの現実と、少しだけ違う世界に入ってしまったのだろうか。しかし、よくできたコピーのため、何の不都合もない。しかし、コピー元に戻らないと、そちら側の現実を放置したままになる。
 しかし、コピー元の現実そのものもコピーだった可能性もある。
 それからしばらくすると、もうそんなことなど忘れて、普通の日常を三島は過ごしている。
 しかし、あの日の目覚めで「ここは何処だろう」と思ったのは、見てはいけない繋ぎ目を見てしまっのだろうか。
 
   了




2017年5月30日

小説 川崎サイト