小説 川崎サイト

 

思い出の場所

 
 思い出の場所を訪ね、そこが様変わりしており、原形をとどめず、別の場所になっている場合がある。経緯緯度的には同じ場所で、その場所が変わったわけではないが、乗っているものが違っている。
 そして過去の思い出が今に繋がっている場合と、旅先での思い出のように、その後絡んでこない場合、遠い世界になる。つまり、その思い出そのものが、そこで埋没しているようなものだろう。これは思い出の内容と関係してくる。今もその内容を保持している場合は、まだ思い出にするわけにはいかないかもしれないが。
 たとえば青春時代に過ごした街角を訪ねた場合、その頃そこは自分の世界で、自分の街のように思えた。そのとき、その街で何をしていたのかにもよるが、街が様変わりしてしまうと、その青春時代も遠いことのように思える。だが、何十年も前と同じ町並みが残っていることは希で、保存地域でも、それなりに変わっている。しかし、手がかりとなる建物などがあるだけましだろう。
 その意味で青春時代によく行っていた寺や神社などは、結構そのままに近い感じで残っている。何十年かぶりに行ったとしても、まだそのままだったりする。しかし人が入れ替わり、服装も変わり、そこへ行くまでの景色も違っているだろう。電車なら車両そのものがもう違う。駅舎が高層ビルになったりもする。
 山河は取り壊されたり、作り直されたりすることはないが、削り取られたり、川筋を変えられたりするし、海も埋め立てられるが、そのままの山河の方が多いはず。何百年単位で残る。山頂に電波塔や高圧線がつきだしているが。そして川の流れはそのままだが、河川敷が昔とは違っている。
 そうすると、太陽や月や星とかは細かい変化は分からないので、大昔のままのように見える。ただ、空気が汚れていると、星も昔ほどには見えなくなるが。
 雲などは同じものがずっとそこにあるわけではないが、空には雲があることは確かで、空もなくなることはない。宇宙時間的に見ればなくなるかもしれないが、当分は空はあるだろう。そして空がなくなれな、もうそんな空のことを考える人もいなくなる。
 思い出の場所を訪ねたとき、そこで忌まわしいことがあり、忘れてしまいたい内容の場合、綺麗さっぱり様変わりしている方がよかったりする。
 また、素晴らしいことが起こりそうだったが、残念な結果になった場所は、感傷に浸るにはもってこいだ。ただし、もうその影響から離れ、達観できる状態になってからだ。
 街にはそれぞれの人達のドラマがあるらしいが、芝居の舞台と同じで、役者も入れ替わる。もう自分が立てるような舞台ではない。その人にとっては終わってしまった場所なのだが、それが血肉になって身体や頭の中に残っているのかどうかは分からない。
 
   了



2017年6月1日

小説 川崎サイト