小説 川崎サイト

 

青い山脈

 
 村岡氏は上り詰めるまでは話題になったが、頂点に達してからは今ひとつだった。その後、下りとなるが、そのときはもう話題にさえ上らなかった。頂点を極め、それをしばらくは維持していたのだが、飽きられたようだ。地位も名誉も得たのだが、意外と姿を消すのが早かった。下の方から見ると、安定した地位に上り詰め、それで一安心のはずで、後は栄耀栄華が待っているはずなのだが、その美味しい時期は短かった。
 それを見ていた作田氏は、上り詰めると駄目なのではないかと、少しヒントを得た。これは作田氏には有利だった。ただ作田氏だけに有利で、その理由は上り詰めるだけの力がなかったためだろう。一生も二生もかけても村岡氏のようには上っていけない。だから、それでほっとした。
「下るのが早かったですねえ」
 引退した村岡氏の屋敷へ作田氏が訪ねて尋ねた。
「頂上にいるのは居心地が悪くてねえ。長居するような場所じゃなかったのですよ」
「それで、早い目に下れた」
「よかったのは頂上に達する手前までです。周囲の期待も大きかったですからね」
「人気がありましたよ。村岡さんは」
「しかし、登り切ってからはさっぱりだ」
「不思議ですねえ」
「その意味がよく分かりましたよ」
「結構虚しい位置なのですか」
「虚しさとは違いますが、実際には何もないのです」
「でも上にはもう誰もいないのでしょ」
「私が立ったのは小さな山脈の頂上で、さらに大きな山脈が向こうにあるのです。それを見たとき、ぞっとしましたよ」
「下の者には見えない世界ですね」
「そうです。私などちっぽけなもので、それで天下を取ったと勘違いしていたのに気付きました。それで下りました」
「じゃ、次はその大きな山脈へ向かえばいいのでは」
「そういうわけにはいきません。それにもう年ですし、その元気も使い果たしましたからね」
「上には上があるということですか」
「上というより、もう別世界ですよ」
「はあ」
「だからそこから見ると、私が極めた頂上などちっぽけなものです」
「もったいない」
「後で考えますとね、私が頂上に登れたのは、その大きな山脈のおかげだったのですよ」
「興味があります。その大きな山脈を。誰のことです。何処のことです」
「それは知らない方がいい」
「はあ」
「作田さん」
「はい」
「あなたぐらいの位置にいるのが一番いいですよ」
「私は上りたくても、その力もありませんから」
「その方が見なくてもいいものを見なくてすみます」
「その山脈の名を教えてください」
「青い山脈です」
「はあ」
 
   了



2017年6月8日

小説 川崎サイト