小説 川崎サイト



恐怖研究家

川崎ゆきお



「見えないことが怖いんでしょうね」
 恐怖研究家などはいないが、高岡は自称している。そんな研究で食べていけるはずがなく、職業として成立しないはずだ。また、その研究を必要とする客もいないだろう。
 だが、高岡はネット上で恐怖研究のブログを作った。
 それに引っ掛かったのが正木なのだが、彼もまた恐怖研究家だった。
「見えないから、怖い。だから見えるようにすることで、恐怖を和らげた感じですなあ」
「高岡先生のお話はブログで全部拝見させていただきましたが、まさにその通りです」
「悪魔もそうですな。もし見えないと、もっと怖い。だから悪魔には形がある。絵でも彫刻でもいいから形がある」
「形がないものは?」
「名前がある」
「でも、形や名前そのものが、今度は怖くないですか」
「それは作り物の怖さかだら、緩和されておる」
「僕も先日遅い時間。ああ真夜中でした。町内を歩いてみたんですよ。腹が減りまして。コンビニで弁当でも買おうと出て行ったのですが、昼間と違い夜は怖いですねえ。いつもと違う世界を歩いているような感じでした。暗いだけで、これだけ違いがあるのかと、あらためて感じました」
「暗いと昼間は見えていたものが見えないでしょ。だから怖いのですよ」
「高岡先生もお会いするまで怖かったのですが、こうしてお顔を拝見しますと、恐怖感が緩和されました」
「私は恐怖の対象かな。私は恐怖を研究しておるだけで、怖い人間ではありませんよ」
「でも、恐怖を研究する行為が、怖い存在に」
「あなたも研究されておられるのでしょ?」
「いや、僕は愛好家で、楽しんでいるだけです。研究と呼べるレベルじゃありませんよ」
「恐怖の質が変わってきたわけじゃないですが、何でも見える時代になると、さらに深い闇が生まれますなあ。街灯で照らせば闇ではなくなるような単純なことではないような」
「そうですねえ、さらに暗い箇所が見えるようにと。それで恐怖心が和らぐのでしょうか」
「そこですよ、あなた。見えない怖さを残しておくべきなんだ。なぜなら、本物の怖さを甘く見てしまうことになる。まあ、恐怖を楽しむ場合は別ですがな」
「はい、心して楽しみます」
 高岡と別れた後、正木はふと考えた。あの先生はどうして食べているのだろうかと……。
 
   了
 
 


          2007年4月24日
 

 

 

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