小説 川崎サイト

 

バーチャルな人

 
 国木田はバーチャルな人間だが、彼は実在している。住民票もあるし、免許証も持っている。架空の人間ではできない。しかし、その存在はバーチャル。仮想世界に住んでいる。しかし、そんな世界は現実にはなく、たとえあったとして作り物だろう。
 しかし、ここが紛らわしい。人は実際にはバーチャル世界にいるようなもので、幻想を現実だと錯覚しながら生きていたりする。
 人は仮面をかぶって生きているというが、仮想世界もその仮面に近い。仮面を外すと、やっていけなかったりするし、自分の世界が壊れる。壊れても生きては行けるが、そこではないのだろう。
 仮装舞踏会や、コスプレなどは、具体的な仮想現実だろう。現実には違いないが、仮装が付く。
 国木田はコスプレはしないが、最近までは信長だった。その言動を真似していた。これは具体性がない。そういう扮装をするわけではないし、またその時代の建物に住んでいるわけでもない。素のままで信長をやっていた。そして口癖は「……であるか」。しかし、これは滅多に人前では言わない。仮想世界の枠の中だけで使うのだが、たまに漏らしてしまうことがある程度。
 その前までは西郷隆盛。そして口癖は「もうこの辺りでよかでしょ」
 これは西南戦争で城山まで逃げてきた西郷さんが自害するときの言葉。国木田氏はそれが気に入った。
 バーチャル空間にいるわけでも、バーチャルなものを見入り、バーチャル体験をしているわけではなく、頭の中にそれがあるだけなので、人には見えないし、また見せもできない。その代わり持ち運ばなくても、組み立てなくてもいい。頭なのだから。特別な装置や衣装もいらないが、それなら国木田に限らず、誰ででもやっていることだろう。
 バーチャルリアリティー、それは特別なものを使わなくても、昔からやっていたことなのだ。
 人は真似る。場合によっては自分自身をも真似る。もう忘れていたような時代の。人は自分自身を生きているのではなく、他人を生きていることが結構多い。
 
   了


2017年6月16日

小説 川崎サイト