小説 川崎サイト

 

なつ

 
 言葉が少し話せるようになった子供が、お婆さんらしい人と一緒に炎天下を歩いている。
「あつくなってる」
「夏だからね」
 久本はそれを聞きながら自転車で追い抜いたのだが、早く日陰に入ろうと、急いだ。
 いつもの木陰で自転車を止め、煙草に火を付けた。しかし何か引っかかった。「夏だからね」が。
 子供はその前から夏というのを知っていたはずだが、ここで念押しされる。「夏」と。この暑さの原因は夏で、暑いのは夏のため。「夏」というのは何処にもない。子供は夏を探しても見付からない。犯人は夏なのだが、正体がない。しかし、ここで子供は「夏」の使い方を自然と覚える。それは何度か聞くためだろう。
 暑いのは夏のため、だから何ともし難い。仕方がないということだ。そのうち「規則」などが出てくる。規則なので従う。夏なので暑いのと同じように、夏は変えられない。しかし規則は変えられるが、大事な規則は滅多に変わらないだろう。当然「冬」だから寒い。寒い原因は「冬」
 子供は「夏」だからで、納得したのかどうかは分からないが、暑くなる現象を「夏」が要約している。詳しい説明をしなくても、「夏」一発で決めてしまえる。
 なぜ夏だから暑いのかを考え出すのは、もう少し先だろう。こういう決め打ちできる言葉は他にも多い。しかし、子供が何度か聞くその「夏」というのは、大人になってから使う「夏」とは少し違うだろう。何か神秘的な呪文のような、得体の知れないもの。つまり夏という妙なものが来ているのだ。だから暑い。
 久本は煙草に火を付けた瞬間、すぐに走り出したのだが、自分もこの手の呪文のような言葉をよく使うことを思い出した。意味をひと言で要約してしまう。慣れてくると呪文のように語呂が良くなる。良い事ではそうだが、悪いことでは嫌な響きになる。
 子供が「夏だからね」で納得させられたようなもの。「夏」で納得したわけではない。「夏」という呪文で納得したのか、または、それが解答のため、それ以上問えなかったのかもしれない。
「お爺ちゃんが悪いからね」では暑さの理由としては難しい。うちのお爺ちゃんが暑くしているのなら、それはものすごい人だろう。具体的すぎるのだ。そのてん「なつ」というのは、概念のようなもので、何らかの現象に対する呼び名だろう。
 お婆さんは孫に「夏」という呪文を掛けて、それで納得させた。その子は、今後も多くの呪文を習うだろう。学ぶわけではないが、自然と耳に入ってくる。
 大人になってしまった久本は、色々な呪文を使い分けている。最近多く使う呪文と、もう使わなくなった呪文がある。そして新しく覚えた呪文もある。
 呪文だけでは、空鳴りのようになり、音だけが聞こえ、意味するところまで込められていないときがある。
 それで最近はもう少し具体的な念仏を唱えることが多くなった。単語や熟語ではなく、少しだけ文節の長い目のものだ。
 あることを念仏のように唱える。やはりこれも空念仏になりやすいことを最近感じるようになる。言葉抜けが起こるのだ。元々言葉の中には何も詰まっていない。違いを指しているだけのことだろう。
 言葉は何かを指している。そして差されているところに行くと、さらにそこでまた何かを差しているものと出合う。差しっぱなしの無限ループに入るのだが、先ほどの子供が聞いた「なつ」という呪文のように、インパクトがある。
 まだ見ぬ世界、まだ聞いたことのない世界。久本は年々それが少なくなってきたので、新たな呪文を探している。
 
   了

 


2017年6月20日

小説 川崎サイト