小説 川崎サイト

 

深み

 
「昔の映画は深みがありましたなあ」
「いつの頃の映画ですか」
「私はエノケン世代です」
「それは古い」
「板妻とか」
「今はその息子もすっかり老人で、もう亡くなった人もいますよ」
「その息子の年代です。私は」
「どうしてでしょうねえ。その深みは」
「さあ」
「白黒だったためでしょ」
「いや、総天然色映画でしたよ」
「モノクロ映画なら、意味は分かります。深みがある意味がね」
「どうしてでしょう」
「色が見えない」
「はい」
「隠されているので、深みがある」
「そうなんですか」
「分かっていない箇所があると深く見えます。謎とまではいいませんがね。おそらくこんな色だろうととは想像できますよ。青い空と白い雲。白黒でも青いんだろうなあとは分かりますが、青を見ていない。青空を見ていないが、認識はしています。ただ記憶ですなあ。空は青いと。だから補充して見ているわけですが、実際には青さなどは感じていません。色目などはね。だから夢の中で見た風景のようなものですよ。だから、遠い風景のように見えて、奥深さを感じます」
「深みですか」
「奥深いというか、まあ、見えないので、そう感じるのでしょうねえ。全部見えてしまうと味気ない。隠れているからいいのです」
「でも総天然色やパートカラーの映画でも深みがありましたよ。今のよりも」
「パートカラーって何ですか」
「一部カラーになります」
「あ、そう」
「やはり役者だと思いますよ」
「エノケンがお気に入りだったのですか」
「はい」
「今でもそれ以上の俳優がいるとは思いますが、また違うのですね。深みが」
「そうです。まあ、作り方が違うためでしょうなあ。今じゃ私より年の下の者が作っている映画ですから。孫が作った映画なんて、深みがねえ。底が知れていますよ」
「それが理由かもしれませんねえ」
「それと」
「まだありますか」
「はい」
「何でしょう」
「筋がドタバタして落ち着きがない」
「それは脚本がそうなっているからでしょ」
「それに画面も派手で、落ち着きがない」
「そういう演出なんでしょ。今の人が退屈しないような」
「漫画ものらくろ時代は読みやすかったのにねえ」
「のらくろですか」
「舞台を見ているようで、分かりやすかったです」
「まあ、そういうものは時代に即して変化していくものですよ。今の人は今の人なりに別の深みを見ていると思いますよ」
「そうなんでしょうなあ」
「そうなのです」
「でも深みって、何でしょう」
「闇が見えるかどうかです」
「あ、そう」
 
   了


2017年6月25日

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