小説 川崎サイト

 

廃寺の怪

 
 その地に寺院跡があるのだが、廃寺ではない。建たなかったのだ。この地の有力者が誇示するために建てようとした寺で、それは今で言えば城ほどの規模があった。権力の象徴のようなものだ。その有力者は没落し、歴史から消えた。歴史は勝利者のためにあるため、この有力者のことは軽く触れられる程度。
 しかし基礎工事程度はできていたらしい。その途中で政変が起こり、永遠に中止となる。だから寺の名さえない。建てる前にそれらしい呼び方があったのだが、そういった文書類は残されていない。きっと燃やされたのだろう。しかし、どんな寺を建てようとしていたのか、生き残った子孫達が書き残している。ただ、その原文はなく、写しだ。
 その敷地跡は今も残っている。山際の雑木林で、里山のような場所。農村時代も、不思議とそこは家を建てなかったし、畑にもならなかった。平らな場所だが入山権が絡む共有地で、個人のものではない。
 それは言い伝えがあるためだ。つまり、ここは弄ってはいけない場所とされていた。
 歴史家も、その意味が分からない。ただ、寺の建造物に詳しい人がおり、ある噂を聞いている。例の古文書から漏れてきた噂だろう。その写しが残っていたのだが、それもなくなり、口伝となった。
 建立時期、流行ったものがあったらしい。流儀のようなものだ。それは基礎工事のときに行われる。地鎮祭のようなものだが、独自のもので、今はもう廃れて、寺院建立のマニュアルにはない。神社ではなく、寺に限られるようだ。
 それは埋め仏と呼ばれるもので、柱の中に填め込まれるタイプではなく、土中に埋める。その流れから、これは人柱に近い。人ではなく、もったいなくも仏様を埋める。だから埋め仏とは仏柱のようなものだ。人身御供、生け贄だ。それが人ではなく仏像というのが変わっている。
 この場所に埋められているらしく、そのため弄ってはいけない土地になったらしい。
 実際に共有地のため、権利関係が難しく、そのまま放置されているため、手付かずなだけ。よくある裏山の芝刈り山だ。
 もし個人の山だったとすれば、とっくの昔に宅地化されていただろう。または大きな施設程度は建てられるだけの平地もある。
 仏像を土中に埋める。そういう儀式があったのだろうが、これもあまり流行らなかったらしいが、土中から地蔵が出てくる話は結構ある。
 この場所、掘れば寺院の規模などが分かるはずで、塔か金堂の下に、仏像が埋まっているかもしれないが、掘り返すと仏罰を受けるとされ、口にする人はいない。それ以前に、そんな言い伝えを知っている人も少なくなった。
 
   了



2017年6月29日

小説 川崎サイト