小説 川崎サイト

 

左右の道

 
 いつもなら右へ回るはずなのだが左に入ってしまった。平岡はどうしようかと思った。それはしばらく走ってからのことだ。狭い生活道路だが自転車なので、簡単に引き返すことができる。
 左へ入るのは朝の散歩のときで、今は昼の散歩なので、右へ行くことになっている。左は吉田駅で、右は田吉駅へ向かう道。
 平岡は家を出たとき、東へ向かう。西へは行かないのは、朝も昼も用事がないためだ。だからこの時間流石に西へは向かわなかった。そこは間違っていない。東へ向かい、最初の四つ角をどちらかに曲がる。直進しても行き止まりなので、そこで左右に曲がることになるので、早い目に曲がる。
 右へ行くはずが左へ行ったのは、朝と勘違いしていたためかもしれないが、年に一度あるかないか程度。だから、全くないわけではない。
 そして、その原因を考えた。簡単なことで、すぐに思い付いた。何かを思い出しており、それに集中していたためだろう。あの人はどうしているのだろうかと、急に思い出し、真剣にそのことを考えていたようだ。それは何十年も前の高校の同級生で、特に親しかったわけではなく、殆ど思い出すことなどなかったのだが、急に脳裏に来たのだ。そのきっかけは分からないが、高校時代の人達について考えていたのだろう。それをなぜ昼の散歩のときに思い出したのかまでは分からない。これも何らかのきっかけでそうなったはずなのだが、きっかけを忘れた。
 それよりも、いつものなら昼のこの時間、必ず右に入るはずなのに、左へ入ったのが気になる。これは惰性とか癖のようなものだろうが、朝は左、昼は右と、別に念を押さなくても曲がっている。その自動が効かなくなったのだ。そういうことは年に一度ほどあり、間違って左へ入ってしまい、回り込むようにして、右へ向かう。距離的に少し損をする程度で、いつもとは違う通路に少しだけ踏む込むだけ。
 高校時代の顔見知り、それが問題なのか、単に物思いに耽っていて、間違っただけなのか、どちらかだ。
 ではいつもはどうだろう。家を出てから四つ角に出るときは道を見ている。家なども見ている。お隣の家とか、その数軒先なので、誰が住んでいるのか全て分かっているが、それなりに変化がある。丁度その時期古い家が取り壊され、新築工事中で、これは目に止まる。だからしっかりと道や道沿いを見ているので、間違わない。朝ではなく昼であることは出る前にしっかりと分かっている。なぜなら昼ご飯を食べたあとの散歩のためだ。朝は左に入るが、その先の喫茶店でモーニングを食べるためだ。これは不思議と間違ったことはない。一度も。
 それで、しばらく走っているうちに、原因が分かった。物思いが原因だが、遠いものを思い起こそうと分け入ったためだろう。高校時代の同級生で印象深かった友達はほぼ思い出せるが、親しくしていなかった旧友に踏み込んでいる最中に四つ角に来たのだ。一番深い眠りに入っているようなものだ。そして、その同級生を見付け、引っ張り出そうとしたときだ。そこに神経が集中しすぎて、惰性力の一番強い左側へ無意識に曲がったのだろう。曲がる必要があることは認識していたようで、直進はしなかった。
 忘れていたような同級生を釣り上げる。そういうことは日頃滅多にない。その滅多にないことを昼間四つ角に差し掛かる手前で起こったのだろう。
 
   了




2017年7月10日

小説 川崎サイト