小説 川崎サイト

 

夏越え

 
「こう暑いと何ともなりませんなあ」
「でも毎年何とかなっているでしょ」
「いや、年を越すより、夏を越す方が難しいですぞ」
「体力的にですか」
「体力があっても同じことです。暑さにやられればね」
「まあ、それでも毎年夏を越しておられるのでしょ」
「越せたかどうかは分からない」
「それじゃ幽霊じゃありませんか」
「そうなると、あなたもそうなりますぞ」
「じゃ、ここは冥土」
「そんなはずはありませんから、ご心配なく。家には仏壇もあるし、月命日にはしっかりお祭りしていますからね。そうじゃないと、あの世にも仏壇があり、そこでもお供え物をしたりすることになります」
「そうですなあ」
「今年も盆踊りの時期ですねえ」
「まだ早いのに、櫓や提灯が出ています。あれは夏祭りで、盆踊りとはまた別なのかもしれませんが、年寄りから見れば、夏祭りじゃなく、明らかにあれは盆踊りですよ。しかし、地縁も血縁もない連中と一緒に踊るのですから、もう昔のような村単位の祭りじゃなくなったので、夏祭りと称するのでしょ」
「しかし、近所の人が来るのなら、それも地縁でしょ」
「そうですなあ。同じ場所に住み暮らしていれば、そうなるでしょう」
「私の遠い親戚ですが、まあ、大正時代の人ですが」
「大正は短いですよ」
「だったら明治に近い人ですが、その終わり頃の人で、稲荷祭りを仕切っていたようです」
「あの、お稲荷さんですか」
「稲荷踊りです」
「ほう。狐の面を付けて」
「大きな屋敷に仕えていた人でしてね。その屋敷内にお稲荷さんが祭られているのですよ。そして夏になると、その前で踊るのです」
「個人が管理しているお稲荷さんですね」
「今でもありますよ。ちょっとした家なら、その庭にね」
「そうですか」
「稲荷音頭もありましてねえ。これはほとんど子供が踊るんです。これを餓鬼踊りといって、近所に住む貧乏人のガキが集められます。お菓子が出るので、喜んできましたよ」
「珍しい行事ですねえ」
「さあ、一般的かどうかは分かりません。その家だけがやっていたイベントのようなものかもしれませんしね。盆踊りに近いのですが、先祖とは関係しません。どちらかというと梅雨の終わり頃、これから暑くなるぞという手前でやるのです。蒸し暑い頃です。まあ、夏越えの行事でしょうか。無事に暑さを乗り越えられますようにとね」
「その屋敷、今もありますか」
「もうないでしょ。屋敷内に使用人などが多数いた時代です。今はそんな家など、もうないでしょ。だから、大きな家など必要じゃないのでしょうなあ」
「なぜ、お稲荷さんなのですか」
「いや、聖天さんでも弁天さんでも大黒さんでも何でもいいのです。屋敷の庭に置けるようなものならね」
「なるほど」
「年越しよりも、夏越えの方が本当は難しかったのでしょうなあ」
「はい」
 
   了




2017年7月14日

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