小説 川崎サイト

 

心の曇り

 
「雲一つある空」
「あるんですか」
「見回すと一つだけある。さっと見たときはなかったが、よく見ると雲一つある。これでは雲一つない空といえば嘘になる」
「あの雲ですか」
「そうだ」
「小さいですよ。あれぐらい」
「いや、見なければ雲一つなしといっても何の後ろめたさもないが、見てしまうと、嘘になる。ここで嘘と知りながら雲一つないといえば、その後、嘘をつきたおすことになる」
「雲ぐらい」
「知らない人は分からないが、私は知っている。私は嘘をついたことを知っている。この罪は重い。そのあとの言葉に真実味がなくなる」
「でも見落とした場合はいいのでしょ」
「それはいい。知らなかったですむ」
「でもよく見ていなかったことはどうなんです」
「観察眼に難があるのは仕方がない。不注意というほどのことではなかろう。雲を一つ見落とした程度では」
「要するに姿勢の問題なのですね」
「真摯に向き合うね」
「で、見落としはいいと」
「嘘をついたわけじゃない。私が見たとき雲がなかったのだから。しかし、よく見ると地平線に近いところにあったのだがね。あそこまで行くと、私の上にある空じゃなく、お隣の空だろう」
「それで雲一つない空がどうかしましたか」
「実際には雲一つあるので、そのあとが続かん」
「何が続く予定だったのですか」
「忘れた」
「じゃ、雲を見落としただけで終わるわけですね」
「そうだな。思い出したとしても、大した話じゃない」
「思い出して下さい」
「確か、曇っているという話だ」
「雲一つないのでしょ」
「一つはあったが、それで曇るわけではない。雲一つない空なのに、私の心は曇っている。という話だ」
「詩人ですねえ」
「ポエムだ」
「しかし、よくある言い方でしょ」
「だから、大した表現でも、話じゃないと言ったじゃないか」
「そうでしたね」
「心の曇り」
「はい」
「それについて語ってみたかったのだ」
「でも、いつも心が晴れているような人などいないでしょ」
「そうだね」
「心も曇るものですよ」
「ああ、君の方が上手いねえ」
「いえいえ」
 
   了





2017年8月6日

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