小説 川崎サイト

 

蟻様

 
「その有様を見よ」と言われて蟻を見る人はいない。蟻に様付け。これは偉い蟻なのだろう。または蟻を信仰する人達かもしれない。
 永田はそれは初期の頃。つまり小学生で初めて「ありさま」という言葉を耳にしたとき、その間違いは犯していないが、どうも蟻が気になった。ただの蟻ではなく、蟻様。蟻に対して丁寧すぎる。
 その後、調べたわけではないが、人は死ねば蟻に帰るという話を聞いた。蟻の多い場所に住む民族かもしれない。動物が死ねば蟻が集る。蟻が地下へ運んでくれる。そして蟻も地面から出てくるように見える。蟻の巣が地中にあれば、地面から湧き出るように見えるのだろう。
 さて、有様だが蟻様ではなく、現実のありようだろう。この現実を、この実態を見よというようなことだ。これは現実世界なのだが、現実は切り口により、また見ようによって違ってくる。そのため、いうほどの実態はないのかもしれないが、所謂現実といわれている世界。この現実が実は掴みようがない。だから、有様とはただの様子かもしれない。そのように見えているものだ。本当はもっと掴み所がないものだろう。それを言い出すと、現実が逃げ出すので、これは何処かで括り付けないといけない。
 現実を捕らえる。これは実際には不可能だろう。だから「この有様を見よ」と言っているのは、何らかの切り口で、その箇所だけを捕まえた現実ということになるが、これもまた曖昧だ。しかし現実が曖昧であっては困る。何処かに固定点がないと不便なためだ。
 永田が有様を蟻様と思ったことがあるのは、一寸油断をすると、有様も揺らぐということだ。永田はそれで有様を蟻様と間違えたことはないが、有様と聞くと蟻様を今も出てくる。蟻が目に浮かぶのだ。しかもただの蟻ではなく、様付けの偉い蟻が。
 この永田の中の頭の中の有様も、また現実なので、有様も蟻様も永田の現実の中では極めてご近所にいる。
 
   了
 



2017年8月8日

小説 川崎サイト