小説 川崎サイト

 

籠屋の婆さん

 
 加賀見家ではよくないことが続くので、お祓いをしてもらいのだが、村の神社では個人的な願い事は、この時代やっていない。村の神様が言うことを聞いてくれるのは、村人の総意があった場合に限られる。それがなくても、この村では虫送りという行事で、ややこしいものを、あっち側へ連れ流してくれるので、困ることはない。あまり悪いことが起こる年は何度か虫送りをやるようだ。
 加賀見家はこの辺りの豪農だが、虫送りを促すだけの力はない。その家の私事になるため、村の総意が得られない。いくら力のある家でもそれはできなかった。
 そんなときは山の神様へ行くが、この村では籠屋と呼ばれていた。少し山に入った所で籠を作っている婆さんにその力があるためだ。つまり厄払いや魔除けなどの。
 籠屋の婆さんはそこで籠を編み、里へ売りに来る。何処からやって来る人なのかは里人は知っているのだが、滅多に行ったことはない。里山から少し入ったところに住処があるのだが、結構大きな家で、一軒家ではなく、数戸ある。今、住んでいるのは篭屋の婆さんだけ。籠を売りに来るとき、その籠の中に薬草なども詰め込んでいる。
 ではここは小さな村なのかというとそうではない。また、下の村々とも関係しない。山側に属している家なのだ。
 里人はそれで滅多にその住処へ行かないのは、たまに見知らぬ人達が大勢来ていることがあるため。里から来た人達ではなく、山の人達だ。
 口の悪い村人は山賊の住処だというが、この周辺の村々に山賊が出ないのは、この山の人々の基地のようなものがあるためだともいわれている。
 そのため籠屋の婆さんが住んでいる場所は砦のようにはなっていない。炭焼き小屋に近いのだが、瓦葺きの大きな家もある。だからここは山賊のアジトでないことは確かだ。
 さて、籠屋の婆さんだが、独自の祈祷をする。一種の山岳信仰だろうが、魔除けの御札は漢字ではなく、誰も見たことがないような文字だ。梵字でもなく、しいて言えば古代文字。たまに岩などに刻まれていることがある。
 加賀見屋の隠居は、その魔除けの御札を籠屋の婆さんからもらうのが目的だが、お祓いもある。その祝詞のようなものは当然何処の言語かは分からない。婆さんにも分からないらしい。
 こういった個人的な願い事、家単位の願い事は、村の神社では扱っていなかった時代なので、籠屋の婆さんは大事にされた。そのため、里の人は滅多にあの住処には近寄らず、また触れたりしなかったようだ。
 この籠屋の婆さんが、老いて亡くなると、次の婆さんに代わる。当然里から来た人ではない。
 
   了

 



2017年8月9日

小説 川崎サイト