小説 川崎サイト

 

台風一過の散歩

 
 台風一過の朝、さあ散歩に出ようと殿山は玄関を出たのだが、暗い。雲が黒いためだ。それに妙な形をしている。パラパラと雨も降ってきた。そういえば起きたとき部屋が暗かった。まだ夜ではないかと間違えたほど。
 これでは話が違ってくる。ペットボトルにお茶も入れた。これは自販機のお茶だが、容器は捨てないで、部屋で沸かしたお茶を入れ、冷蔵庫で冷やしていた。そしてすぐにぬるくならないように、また露が付いても大丈夫なように布の袋に入れている。散歩というより遠足に出るようなものだが、準備は全部できているのだ。といってもペットボトルの袋を指に引っかけてぶら下げているだけで、リュック類はない。財布や鼻紙はポケットに、タオルは首に引っかけてある。これは暑くなくても、夏はカッターシャツの襟が汚れるためだ。
 殿山は戦時中の遺品のような真鍮の水筒を持っていた。革の紐で結び、袈裟懸けできる。小学校の遠足のとき、それを買ってもらってから、ずっと持っていたのだが、流石に使わなくなり、ガラクタ箱の中に突っ込んであるが、それを思い出した。
 だが、思ったからそれを使うという話ではない。思ったことを全部やっていたのではきりがないだろう。
 あいにくの空なので、散歩に出る気が失せてしまったが、もう出かかっているので、そのまま強行した。雨天決行だ。ただ、雨はぱらっとしただけで、その後降っていないが、ここはこうもり傘が必要になると思い、杖代わりに竹の柄の傘を持ち出した。このタイプの傘はコンビニでは売っていないし、傘屋そのものがもう町内にはないに等しいので、今日では入手困難だ。竹の節が脊髄のようにごろっとし、結構滑りにくい。手垢で汚れてしまったが、独自の竹の色合いが出ている。
 台風一過なのに天気が悪い。台風が引き連れてきた雲が長いのだろう。長く伸びた尾を引っ張っている。
 その尾が抜ける頃、青空が見えると期待しながら殿山は歩き出した。駅へ行くわけでもバス停へ行くわけでもない。遠足といっても町内を歩くだけなので、遠くまで来た感じにはならないが、徒歩だとそこそこ歩けば、戻るのが大変なぐらい家から離れてしまうことがある。そんなときはバスに乗って帰る。
 朝まだ早いのか、軒下に止めてある自転車が三台ほど倒れたまま。家の主はまだ外に出ていないのだろう。一家に三台の自転車。どんな家族構成だろう。子供用はなく、三台とも似たような安物だ。倒れようが錆びようが、あまり気にならないのだろう。
 ドブにビニール傘が骨の折れた状態で引っかかっている。昨夜の風では傘を差すなど無理な話で、その戦いのあとだ。骨折り損のくたびれもうけではないが、ある程度持ち主はこれで濡れない状態でしばらくいけたので、役には立ったのだ。ただ骨を拾う人はいない。あとは放置ゴミのような扱いだろうか。
 殿山は最初の一口を飲む。まだお茶は冷たいが、二度目は少し冷たく、三度目は生ぬるくなり出す。
 殿山という男、何をして暮らし、何をしてきた人なのかは、もうこのときには意味がない。ただ言えることは水筒をぶら下げ、家の近くを遠足だといいながら散歩に出掛けられる身分。この身分が人生の到達点ではないが、下り坂だ。しかし登り切った山も低かった。だから人生の頂上が何処にあったかは曖昧だ。
 山が低かったので高低差が少ないため、なだらかな下り坂になっていたようだ。
 
   了

 


2017年8月11日

小説 川崎サイト