小説 川崎サイト

 

熟考

 
 ものの良さはそのとき良くなくても、時期によって変わる。気に入らなかったものでもいつの間にかお気に入りとなり、気に入っていることさえ分からないほど普通に使っていたりする。ものの価値などいい加減なもので、思っているほど安定していない。これは本人が安定していないのだろう。しかし、永遠の安定になると、それはもうこの世にはいない。
 価値は変化するが、実際には本人の変化で変わるのだろう。受け止め方などが。だから価値は変わらないのかもしれないが、それをずっと見続けている人も変わるので、価値は曖昧だ。これは価値観が合わないだけで、ものそのものはずっと同じようにあり続けているのかもしれない。万物は変化するので、ある範囲内での話だが。
 朝、思い付いたことを昼になると否定し、夜になると、また肯定する。移り変わる価値観は猫の目のように目まぐるしいのだが、一日の範囲内では目の玉をぐるぐる回しても、それほど目立たない。一日は結構長い。
 同じものを使っていると飽きてくるが、飽きたことにも飽きるほど使っていると、もうあまり思わなくなる。しかし何等かの変化が起こり、価値観を見直す必要に迫られることがある。何も起こっていなくても、自発的にやる場合もある。
 別の価値を見付けに行く場合と、今あるものをもう一度再確認し、これがやはり一番価値があると、再認識し、変えないで動かない場合と。
 何がそこで起こったのかは分からないが、普段はそんなことなど思わないだろう。よりよいものを見たとか、このままではいけないような気分になったとか、それは色々だ。
 その色々の中で、退屈なので、刺激が欲しいので、そういう価値観を弄ることもあるが、これは色々な中の一つには入らないだろう。しかし、人はこういった余計なことで動いたりする。
 退屈なときは暇なときで、用事が少ないので、余裕がある。だから余計な動きに出たりする。
 現状維持か、新天地への旅立ちか、と大層なことを考えるのは、威勢が良くなるためだ。刺激がある。しかし、そこを弄ると、取り返しの付かないことになることもある。必要に迫れていないのにやるためだ。
 だから、現状維持を選ぶのが妥当で、滅多に冒険はしない。しかし隙あらば飛び出したいはず。
 人は頭の中で何を考え、何を思っているのかは分からない。思っているだけで行動に出なければ分からないし、それを言わなければ分からない。そのため人知れず静かに謀反が進んでいたりしそうだ。
 だが、そういう冒険も、さあ、出ようと具体性を帯びると、引き返したくなる。
 熟考するとは、色々な可能性について思い浮かべることから入るのだが、なかなかまとまらないと、考えが熟さない。その熟したときが食べ頃で、このとき動くのだろう。これを逸すると腐ってしまう。
 
   了

 


2017年8月13日

小説 川崎サイト