小説 川崎サイト

 

稲荷山

 
 山沿いの道を歩いていると農夫が畦に座り、煙草を吹かせている。吉田はこの人だと思い、近付いた。
 農夫は吉田に気付いたのか軽く会釈する。やはり思っていた通りの人だったので、吉田は安心した。
「あの三角の山は何という名の山ですか」
 つまり、山の名を里の人に聞きたかったのだ。聞いて何となるわけではないが、三角が気になる。
「ああ、あれは稲荷山じゃよ」
 農夫は高い声を発した。まるで天からの声だ。元々高音なのだろう。何処からそんな声が出ているのか最初方角が分からなかったほど。
「稲荷山ですか」
「本当はそんな名じゃないだがね。この辺りじゃ昔から稲荷山って呼んどります。まあお稲荷さんです」
「本当の名前は」
「地図では高畑山です」
「はあ」
「高畠さんちの持山ですから」
「じゃ、どうして稲荷山なのです」
「形ですじゃ」
「三角なので、ああ、稲荷寿司のような」
「平たい稲荷もありますよ。じゃがこの辺りの百姓家で作る稲荷寿司は三角なんです。お供え物もね」
「形だけですか。それだけですか」
「いや、お稲荷さんに似ている山なので、お稲荷さんも祭っていますじゃ」
「はあ」
「登り口に祠がありましてな」
「それはダミーのような」
「ダミー」
「飾りのような」
「いや、よく分かりましぇんが、高畠さんが置いたもので、稲の神様です」
「稲の」
「山神さんのことですじゃ」
「山神さんがお稲荷さんなのですか」
「奥山から田んぼに来られるまでの休憩所のようなものですよ」
 吉田はお稲荷さんの御神体は狐で、狐を祭っていると思っていたが、お稲荷さんの露払い、眷族、子分が狐だったようだ。だから山から山神様が降りて来るとき、その先導役が狐。そして稲荷山の麓に出たときは山神様からお稲荷さんに変わるらしい。
 田植え前にこの山神さんは降りて来る。だから田んぼの神様だ。降りて来られたときの滞在場所がお稲荷さんの祠。ここで稲刈りが終わるまで田んぼを見守っている。
「そうなんですか。じゃ、高畠さんという人がお稲荷さんを祭るまで、山の神様は何処に滞在していたのですか」
「村の神社」
「ああ」
「しかし、代々、村の神社の神主一家は評判が悪くてねえ。それで、稲荷山が定宿になったようなものじゃ」
「はい」
「お稲荷さんって、どんな神様ですか」
「さあ、よう分かりませんが、何処かの貴族の先祖神でしょ」
「でも、今は山の神様ですね」
「そうじゃな。何でもいいのですよ。縁起物ですから」
「はあ」
「田んぼにはなあ、もっと他に色々と時期によって神さんが大勢来られます。祭るのが大変なので、今は稲荷山のお稲荷さんだけです」
「お稲荷さんの総本山とは関係しますか」
「ああ、本家ね。関係しまへん」
「じゃ、勝手にお稲荷さんを」
「だから、稲荷山はただの呼び名のままじゃし、祠には何も入っておりません。じゃから稲荷神社ではありませんのじゃ」
「行ってみたいです」
「見えておるじゃろ。登り口まですぐですぞ」
「はい、有り難うございました」
 やはり、この農夫に聞いたのは正解だった。
 しかし、三角の稲荷山の登り口に着いても、それらしい祠はなく、周囲を探索したが何もない。さらに山の登り口はあるが、これは獣道に近い。以前は植林だったようだが、荒れ果て、雑木林状態になっている。
 吉田は引き返し、農夫のいたところまで戻ったが、農夫はいない。
 あの高い声を発する農夫はいないが、狐がいたのだろう。
 
   了
 


2017年9月4日

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