小説 川崎サイト

 

秋雨

 
 秋に入ってからの雨。小雨だがしとしと降り続いている。気温が下がり肌寒い。竹下は上にもう一枚羽織って仕事場に向かった。涼しいから寒いに変わりだし、過ごしやすくなったので、仕事の効率も上がるはずなのだが、なぜかその日は閉じこもりたくなる。早い目に憂愁気分を味わいたいわけではなく、何となく消極的になる。
 こんな日は早く帰って部屋でのんびりとしたい。だから仕事に集中できるどころか、適当にこなして、さっさと終わらせる頭になっていた。
 部屋でのんびり。これは何だろう。特に何かをやるわけではなく、自分の時間を得ることだろうか。得ても大したことをするわけではない。無駄な空白のようなものだが、たまにそういうことを入れないと息が詰まる。
 短い呼吸ではなく長い呼吸がしたい。あくびでもいい。だらだらと怠けていたい。
 しかし、この日に限ってのことではなく、竹下は雨の日はいつもそんな感じで朝を迎えている。そして仕事を始めると、もうそんなことを思う余裕もないのか、しっかりと仕事をこなしているのだが。
 そして、それなりに仕事をやり終えると充実する。やるべきことをやったのだから、堂々としたものだ。晴れ晴れしい気分で帰路につくことの方が多い。要するに竹下は仕事がよくできる人で、優れた人なのだ。
 ところが雨の日の朝の、この状態は何としたことだろう。ここに何らかのずれがあることを竹下は意識している。もしかして間違った暮らしぶりをしているのではないか。自分らしい生き方ではないのではないかと、ないのではないか、ないのではないかと繰り返す。しかし、何もない。何も出てこないので、解決策はない。それに解決しなければいけないようなことでもない。
 では竹下は完璧主義者なのか。すべてうまくいっていないとだめと思い込む人なのか。それも自問してみたが、そんなことはない。仕事はできるが、それは自分でそう思っているだけで、うまくこなせているような気持ちに持ち込むのがうまいだけのようだ。そのため、仕事ができる人ではないのかもしれないが、一応そう思われている。これは第三者の目が入るので、確かだ。
 自己満足の仕方がうまいだけかもしれない。これは結構前向きで、何でもかんでもハッピーエンドに持ち込む人だ。いい風に解釈しているだけだろう。
 そういう昼間の演技が、朝になるとまだスイッチが入っていないのか、仕事へ行くのがいやになる。これは程度の問題で、軽くそう思うだけなので、よくある話だ。誰にでもあるだろう。ところが雨の降る肌寒い秋、それが底値のように低くなる。今朝がそうだ。
 仕事は定時で終わり、休みもあり、仕事は忙しいが、過労ということはない。
 秋の雨。これが竹下にとっては曲者で、何らかの選択肢が見え隠れする。これは先読みのしすぎだが、今の状態は本来ではないような気がするのだ。
 というような微妙な話は人には語れない。なぜなら人と会っているときは、それなりの演技をし続けているためだろう。
 どんな人にでもあるようなことだが、現実がほんの少し不安定になるのは仕方のない話だ。どんな人間でもそういう風にできているのかもしれない。
 
   了




2017年9月19日

小説 川崎サイト