小説 川崎サイト

 

逢魔が時の妖怪

 
「逢魔が時に出る妖怪はいませんか」
 妖怪博士付きの編集者が、今回は答えやすい質問をしてきた。夕方の薄暗い頃なので、妖怪などウジャウジャいるだろう。
「魔に遭う時と書くか」
「はい」
 妖怪博士はまずは言葉から入っていく。そして字面通りの答えしかしないときは怠けているか、興味がないときだ。それに面倒なときも。
 だから面倒が時とかもあるのだろう。
「ウジャウジャのう」
「はい、今回は話しやすいでしょ。いつものようにひねった妖怪ばかりじゃ、難しい話となり、子供には分かりませんから。単純明快、シンプルで可愛いのがいいのです」
「可愛い魔か」
「色々出る時刻ですので」
「これは出ておらぬ」
「え」
「逢魔が時専門の妖怪はおるが、それはつるべ落としとか、その程度のもの」
「釣瓶は一寸」
「そうじゃろ。井戸から水を汲むときのあの釣瓶じゃ。そこから説明せんといかん」
「では博士は逢魔が時とは何だと思います」
「これは空間の妖怪だろう」
「時間は」
「だから、時間は断らなくても、夕方から夜になるあたり。黄昏時の空間、あるいは空気を差しておる」
「特に妖怪はいないのですね」
「だから、夕方に出る妖怪や、夜になる妖怪を含めればウジャウジャおるだろうが、妖怪のタイプが違うのじゃ」
「また、困ったことを」
「何が困る」
「だから、それでは子供には」
「黄昏時、夕方徐々に暗くなっていく、心細くなっていく。もうありふれすぎて、語る気にもならんわ」
「では字面通りに」
「そう、魔に遭う時間」
「その魔とは」
「昼間見えなんだものが見える」
「薄暗いのですから、余計に見えなくなるのでは」
「だから、別のものが見えるのじゃ」
「別のものとは」
「暗いと何が潜んでいても分からん。そういうことじゃ」
「照明の問題ですか」
「夜の怖さ。暗くなることの怖さ。闇の怖さだろう」
「はあ」
「夜から闇へ。この変化じゃ」
「え、よく聞き取れませんでした」
「明るさ暗さの問題から、闇というまた別のものになる」
「はあ」
「夜より、闇の方が怖いじゃろ」
「闇夜はどうなんですか」
「夜は暗いが月明かりがあるし、町の明かりもあるだろう。闇とはまったく光がない状態。まさに暗闇。これが、闇じゃ」
「暗室のような」
「まあ、そんな状態になれば何もできんから寝ておる。まあ、用があるのなら、明かりを灯す」
「逢魔なんですから、魔物と遭うわけでしょ。魔物との遭遇。その魔とは何ですか。どんな妖怪ですか」
「だから逢魔が時に関しては実体がない。具体的な形などない」
「妖魔とか、悪魔とか、魔がつくキャラは」
「キャラものではない。もっとランクの高いものじゃ。そのため、私はこの逢魔が時には触れたくない。触れると、何も出なくなるからな」
「はあ?」
「この言葉、そっと取っておいた方がよろしい。使いすぎると、手垢が付く。黄昏時もそうじゃ」
「はあ、なんと繊細な」
「時々、この言葉がふっと頭をよぎることがある。そのときの気持ちや気配を逃したくない」
「やはり言葉から入っていくのですね」
「言霊の世界じゃ」
「言霊」
「呪文や祝詞のようなものかもしれん。それには意味はあっても、実際にはない。全体を包む、何かを指し示す効果音のようなものじゃな」
「バックミュージックですか」
「そうだな」
「今回も、難しい話なので、子供向けではありませんから、釣瓶落としで行きましょう」
「そこが落としどころか」
「はい」
 釣瓶落としとは実は妖怪ではなく、秋の黄昏は早く、あっという間に日が落ちるので、まるで、井戸に釣瓶を落とすときのように早いという程度のもの。その釣瓶にものすごい顔をした妖怪が入っているというもの。これはただの季節もののような時間ものだろう
 
   了

 

 


2017年10月2日

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