やるべきことをやるよりも、やらなくてもよいことをやるほうが面白い。
白河はこの問題で悩んでいた。
悩んでいただけではなく実行していた。
やらなければいけないことの中でも最もやるべきこと、つまり仕事に行っていなかった。
そして、やらなくてもよいことに精を出す日々を続けている。
白河はミステリー小説のファンで、古典的な探偵小説から今風なモダンホラー小説まで読み漁っている。
仕事から見れば、これは娯楽だ。楽しみ方の一つだ。
それを楽しむには仕事をやることが必要になる。
仕事で時間を拘束されてたり、嫌なめにあったり、眠いのに起きて電車に乗らないといけない……とかがあって始めて娯楽の時間が楽しいのだ。いや、効果的だとも言える。
だが白河は、そういう時間が邪魔だと思い出した。仕事へ行かなければ、もっと楽しいのではないかと思い出したのだ。
それは老後の生活として我慢すべきだとは思うものの、それまで待てなかった。
白河は蟻とキリギリスの童話を知らないわけではない。むしろ余計な話を知ったが為に、悩んでいるのだ。
ここで働いておかなければ後で苦労する……と、きっちり学習している。その意味では非常にノーマルな考え方を身につけている。
それが悩みのタネだった。
その解決策として、老後の本も買った。老後をどう生きるかの設計ではない。老人の精神状態に関する本だ。
その一冊に、今日一日を一生だと思えとある。一日一生だ。明日はないのだ。
もし明日があれば、その日も一生と思い、暮らせばよい。
もう、あまり長く生きられない老人向けの時間計算だ。生きているだけでもありがたいという路線だ。
白河はこれを取り入れることにした。明日のことを気遣うよりも、今日は今日で生きればよいのだ。
白河は老人になった。気持ちを老人にしたのだ。
白河は安心してミステリー小説を読み漁ったが、徐々に興味を失っていった。面白そうな本がなくなり、読む本がなくなったのだ。
そうなると一日が面白くない。
白河は趣味で働きに行こうかと考えた。一日一生の発想なので、次の日は取りやめた。
しかし、やらなくてもよいことは楽しいが、そうそう楽しいネタがあるものではない。
白河の悩みはまだ続いている。
了
2007年5月7日
|