小説 川崎サイト

 

甘くないアンパン

 
 三島は毎日通っている場所からの戻り道、何か忘れているような気になった。それが何かが分からないが、何かを忘れている。もの凄く大事なことではなさそうなのは、決して忘れてはいけないようなことではないためだろう。
 こういうのは一生思い出せないこともあるが、今回はすぐに来た。パンを買い忘れていた。これは帰ってからの昼ご飯。ほぼ毎日、立ち寄り先で買っているのだが、その日は忘れたのだ。雨が降っていたためかもしれないが、そんな日はいくらでもある。忘れたことを思い出せたのだから、忘れた原因まで追うことはないと思い、ほっとするが、引き返さないといけない。そのパン屋は安いことと、毎日なので慣れている。どのパンが何処にあるのかも分かっている。メーカーもののパンではないので、他の店では売っていない。同じタイプのパンもあるが、いつものパンがいい。
 そして引き返す気があるのかないのか曖昧なまま自転車を漕ぐ。こういうことはたまにある。仕方なく近くのコンビニで買うことになる。今日もそのパターンに持ち込むしかないと思い、先へと進んだ。それにもの凄く大事な用件ではない。しかし買わないと昼飯がない。買い置きがない。お茶漬けにしてもいいのだが、ご飯の残りがない。小麦粉でもあればそれを練って焼けばパンのようなものなので、それでもいい。卵はあったので、残り物の野菜を細かく切って入れればお好み焼きのようになる。しかし小麦粉の買い置きがない。滅多に使わないので、古くなり、捨てた。
 だから、パンにしなくてもいいのだが、できればパンを食べたい。パンならすぐに口にできる。
 それで思い出したのが、その通りの先にある手作りのパン屋。この手作りという言葉を聞いただけで高そうなので、避けていた。それに入ったことがない。
 しかし、タイミングがよかった。思い出したとき、その先にパン屋があるのだから。コンビニは回り道をしないといけない場所。余計なところを走らないといけない。手作りパン屋ならそのまますっと自転車で横付けできる。店も狭いので、ドアを開ければすぐにパンが並んでいるはず。買いやすい。
 それで、自転車を止めようとすると、店の前に三台止まっている。四台は無理。狭い道なので、敷地内でないとはみ出せば車が通りにくくなる。しかし、そのすぐ横に銀行があり、何台か並んでいる。駅前に近いのだ。それだけに、駐輪禁止で、人が出ており、止めにくい場所になっている。そのパン屋の敷地内なら文句はなかったのだが。
 それで、地方銀行の前に止め、パン屋に入ろうとすると、老婆が出てきた。自転車ではない。近所の人だろう。
 そしてドアを開けると入れ替わりに、もう一人出てきた。この人はどうやら自転車で寄ったのだろう。だが、あと二台止まっている。客のものでなければ店の人のものだろう。家と店が同じ場所にあるのだろうか。
 さて、パンだが焼きたてで、艶がいい。その殆どは菓子パン。クリームパンとかアンパンとか。これはおやつだ。値段は少しだけ高いが、少しだけ小さい。しかし一つ一つしっかりとした形をしており、長年手作りパンをやっているためか、磨き上げた造形物に近いのだろう。普通の家の玄関ほどの広さしかないが、隣の部屋で焼いているのか、初老のお父さんが片付けをしている。今日の分はもう終わったのだろう。レジにいるのは奥さんだろうか。個人のパン屋というのはこういうものを見てしまう。
 昼に食べるパンは一つでいい。しかしどれも小さいので、二つ買う。いつもより贅沢なことになってしまったが、たまにはいいだろうと三島は三つ目に手を出す。クルミの入ったパンだ。クルミは見えないが、表面がクルミ色に焼けている。こうなると陶芸だ。さらに一寸砂糖が見えている白っぽいのも買う。形が筏のようで、それが気に入った。買いすぎだ。
 トレイに乗せて、レジに置くと奥さんが一つ一つ袋に入れ、レジ袋に詰め込んでくれた。
 店を出て、もう一度自転車を見ると、二台止まったまま。やはり店の人の自転車でパン屋夫婦自転車だ。
 三島は銀行に止めていた自転車の荷かごにパンを入れる。そしてもう一度パン屋を見ると、お婆さんが入って行くのが見える。
 この近くにお菓子屋や饅頭屋はない。スーパーもない。駅の売店もない。
 つまり甘いものを売っているのは、ここだけなのだ。それで流行っているのかもしれない。
 そういう感想を得て、三島は自転車を出した。
 そして戻ってから食べてみると、パンそのものよりもクリームパンのクリームに驚いた。甘くないのだ。ここまで練り上げ、磨き上げた完成品がそこにあった。当然アンパンもそれほど甘くない。まったく甘くないわけではないが、歯や胸に来るような甘さがない。
 こういう芸当はメーカーもののパン屋ではできないだろう。
 三島は大きなヒントを得たような気になったが、使うネタがなかった。
 
   了



2017年10月24日

小説 川崎サイト