小説 川崎サイト

 

帽子の警告

 
 室田は玄関の廊下に細く小さなテーブルのような棚を置いている。友人の引っ越しのときに貰ったものだ。丁度それぐらいの高さのテーブルが欲しかった。棚は二段で横板はない。一寸した仮置き場だ。
 タネも仕掛けもないマジックのテーブルのようなものだが、いつの間にか帽子置きになっていた。戻ったとき、すぐにそこに帽子を置く。そして出るときはその帽子を取りながら靴を履く。
 帽子置きにするつもりはなかったのだが、帽子を置くともう面積はそれで占めてしまうので、他の物が置けなくなる。だから非常に贅沢な帽子掛けのようなもの。掛けるのではなく、置くので帽子置きだろうか。
 その日、台風が接近していたのだが、室戸は出掛けることにした。風は弱く、雨は小雨。まだ遠いのだろう。その前に来た台風は近くを通過したのだが、それさえ分からないほど穏やかなものだった。それが頭の何処かにある。この程度なら大丈夫と。
 そして、いつものように出掛けようと、鞄を肩に引っかけ、帽子置きの前に来たのだが、帽子がない。戻ったとき、確かに被っていた。ここに置いたはずなので、あるはず。しかし探さなくても視野に入っている。下に落ちていた。
「ん」
 と、室田は験を担いだ。帽子が落ちた。地面ではないが板張りの廊下。風で帽子が飛んだというイメージではなく、転倒した絵が浮かんだ。
 帽子が消えることはある。これは帽子置き場ではなく、被ったまま部屋まで入り、その辺りにポイと置いた場合だ。置き場所が違うだけだが、しばらくは消えたようになり、見付からなかったりする。しかし、何処かで脱いだことは確かなので、分かりやすいところに置かれていたりする。しかし棚から帽子が落ちたことは今までない。
 一人暮らしなので、帽子を隠すような人間も動物もいない。
 玄関戸からの隙間風にしては、まだそんなに強い吹きではない。残るのはしっかりと置かなかったためだろう。それなら目の前で落ちるところが見える。だが、落ちかけのまましばらくは落ちないでそのままだった可能性もある。
 どちらにしても出掛けようとしているとき、帽子が落ちた。これはゲンクソが悪い。そう感じるのは台風が来ていることを知っているため。もしものことがある。
「この帽子のようになるぞ」と警告されたように感じたが、風雨はそれほどでもないので、帽子は飛ばないだろう。帽子だけが飛べば問題はないが、本体も一緒に飛ぶと大変だ。そのイメージが真っ先に来ていた。
「これはただの験担ぎだ」と室戸は、そう判断した。判断などする必要もないのだが、天気が天気だけに、出掛けない方がいいのかなと、少しは迷った。
 結局、室戸は玄関を開け、自転車に乗り、出掛けた。小雨だが、濡れるので傘を差し、路地道を進む。風がややあるが、これなら大丈夫だろう。
 しかし、大通りに出た瞬間、ものすごい突風を受け、バランスを崩した。風の通り道になっていたのだろう。
 バランスを取りながら帽子を押さえた。片手は傘を持っているので、傘を持つ手でハンドルを押さえる芸当だ。まだ、そんな余裕がある。
 強い風を受けたのは一瞬で、そのあとは問題はなかったが、用事を済ませ、戻るとき、風雨が強まっていた。予想外に早く来ていたのだろう。小枝がしなり、悲鳴のような声を発している。枝が路面に落ちているのを見て、これは傘など差せる状態ではないと覚悟し、濡れながら走った。やはり、帽子が知らせてくれたことは正しかったのだ。しかし、それが正しいとすれば、何処かで帽子が落ちるはず。帽子だけではなく、本体も。
 転倒する。これは歩いていれば問題はないが、自転車がいけない。バランスを崩し、思わぬ角度でいきないバタンと横倒しになれば、ダメージはかなりある。
「乗るのを諦めよう」
 室戸は傘は差せないし、自転車にも乗れないので、自転車にすがりつくように戻った。
 そして大きな通りから路地に入る間際、押さえるのが間に合わず、帽子が飛んだ。路上に転がり、口を向けた帽子を拾いながら、室戸は呟いた。
「中身が入っていなくて良かった」と。
 
   了

 


2017年10月27日

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