小説 川崎サイト

 

深更

 
 夜も更けてきた。もう深夜だろう。植村は時計でしかそれが分からない。日が暮れ、暗くなってからはずっと暗いまま。外からの明かりがお隣の窓明かりに変わる程度。それも消えているのだが、カーテンをしているためか、それも見えない。夏なら分かりやすいのだが。
 この時刻、シンコウという妖怪が出るらしい。シンコウ、信仰ではなく、深更から来ているのだろう。夜更けのこと、深夜のことだ。
 夜は来る。だから毎晩来ているのだが、その夜ではなく、別の夜が来るようだ。そうでないと、わざわざそんな妖怪など気にすることはない。
 植村は妖怪辞典で調べたが、シンコウという妖怪などいない。ではなぜそんな妖怪名を知っているのか。それは妙な夜が来ているのに気付き、妖怪博士に相談したところ、それはシンコウの仕業だと言われた。近所に住む妙な人だが、妖怪研究家と聞いている。もうこれだけでおかしな人で、まともではない。まともな仕事ではないのだが、妙なときには頼りになる。世の中は普通とはまた違うものが結構あるためだ。寺社があるのもそれに近い。
 それで、シンコウとは何かと聞くと、別の夜の訪れだと説明してくれた。しかしそれ以上のことは知らないらしい。ただ、そんな現象があり、どんなものなのかは個人差がありすぎて、一概には言えないとか。分かっているのは、空気が変わり、いつもの夜ではないこと。そして、それが来るのは夜更かしをしたときらしい。これは未知の時間帯ではないものの、もう寝ている時間。しかし、途中で起きてトイレに立つこともあるので、ずっと寝ているわけではない。だから真夜中の時間帯は、それなりに経験している。だから、これはシンコウではない。夜に目を覚ますと毎回シンコウに出くわすことになる。
 シンコウは夜更かしになった時間帯に普通の夜から妙な夜への切り替えがあり、これがシンコウ。だから進行型のようだ。
 夜中、目が覚めたときはいきなりだが、シンコウは徐々にしか来ないらしい。夜の深まり、夜の底へとじわりじわりと入っていく状態だろうか。この過程を経ないとシンコウにはならないとか。これは妖怪博士からの説明ではなく、植村の体験から来ている。個人差があるというのは、そのことなのか、それが共通する入り方なのかは分からない。シンコウを体験した人など知らないためだ。
 シンコウが来ると目が冴え、別の次元に入る。本来なら眠くなり、目など冴えないし、もう寝支度以外のことはしたくなくなり、フェードアウトしていくものだが、この妖怪が来ると、これなら何かが始まるような空気が流れる。出発進行だ。だが、流れているが風はないし、気温も同じ。
 空気というのは、時のようなものでもあるのか、空間のようなものなのかは分からないが、先ず時間の概念が飛ぶのか、時計を気にしなくなる。短針がもう寝ないといけない角度になっていても、気にしないでそのまま起きている。
 風邪などを引き、風邪薬を飲んでぐっすり寝ようとしているとき、逆にその薬が裏目に出て、目が冴えに冴えることがある。それに近い。
 シンコウが来たときは、目が冴えるというよりも、焦点が定まらない。もう目の前のものなど見ていない。だから明快に見えるとか、頭がしっかりと働くとかの冴え方ではない。何か新雪を踏むような気持ちになるのだ。これがシンコウの世界。
 そして今夜、シンコウは来ない。夜は来るし夜更けは来るし深夜も来るが、あのシンコウは来ない。
 これは妖怪博士から御札を買って貼ったためだろう。この御札でシンコウが入り込むのを防げるかどうかは分からないと言われた。保証できないが、どうしますかと聞かれ、気休めのため、買った。
 だから、妖怪シンコウは気のせいだったのかもしれない。
 
   了

 


2017年10月31日

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