小説 川崎サイト

 

目玉が落ちた

 
「最近如何お過ごしですか」
「色々あるが、言うほどのことではない」
「それはなにより」
「取るに足りぬことの中に何かが芽吹いているかもしれないし、その前兆かもしれないがね。良いことでならいいんだが、悪いことの方を思うねえ」
「悪い兆しがありましたか」
「まだ、それははっきりせんから、何とも言えぬが」
「たとえば」
「目が落ちた」
「付いてますけど」
「片目だ」
「え、両目付いてますが」
「眼鏡のレンズだ」
「ああ」
「だから、言うほどのことではないだろ」
「そうですねえ」
「たまに玉が外れることがある」
「浮いたのでしょうねえ。フレームから」
「いや、それならたまにある。今回はフレームが切れた」
「切れるものですか」
「金属製で柔軟性がある。銅かもしれんなあ、緑色になっている箇所もある」
「緑青ですね」
「落ちたのですぐに填めようとしたとき気付いた」
「はい」
「枠が緩んでいるというより、切れたのでは何ともならん」
「それはどういう眼鏡ですか。今は裸眼ですが」
「普通のものは裸眼で見えるが、近いと難しい」
「じゃ、老眼鏡」
「そうだね。たまに出してかけているだろ」
「はい、思い出しました。あの眼鏡ですね」
「あれは外出用でね。それじゃなく、部屋にいるときにかけるやつだ。少し度が緩い。度が強いと本はそれでいいが、本棚がぼやける。これは裸眼で見たほうが早い。度が緩いと活字もそこそこ見えるし、本箱もよく見える。そのタイプの老眼鏡の片目が落ちたんだ」
「買えば済むことですね」
「ところが度が分からなくなった。フレームの裏などに書かれてあるんだがね。消えているのか、もうない」
「でも外出用の眼鏡もあるので、問題はないでしょ」
「いや、テレビが見えない。度が強すぎて。それに度の強いのをかけていると、厳しい。外出時、小さな文字を読むとき用だからね。ずっとかけているタイプじゃない」
「でも、眼鏡屋で試してみれば、分かりますよ」
「新聞などが置いてあるねえ。しかしあれじゃないんだ。そこでピタリと合うタイプは持っておる。至近距離じゃなく、近距離まで見えるタイプがいい」
「でもどうせ買うことになるのでしょ」
「落ちたとき、テープで留めた」
「はあ」
「それで、当分は持つ。だからもの凄いことが起こったわけじゃない」
「そうです。目玉が落ちるのに比べれば」
「しかし、フレームが切れたのはこれが始めてじゃ。ここが怪しい」
「それが何かの前兆」
「うむ」
「しかし、それだけでは」
「そうなんだ。だから言うほどのことじゃない」
「そうですねえ」
「しかし、そういう一寸したことの中に、何かの前兆があるんだよ」
「はい」
「ただ、それは起こったあとでないと分からないがね」
「下駄の鼻緒が切れたとかですね」
「古い話を知っておるねえ」
「時代劇でよく出てきます」
「まだその手を使っている時代劇があるのかね」
「いえ、昔の時代劇に」
「興味があるのかね」
「はい、その時代劇を見ていると時代が分かります」
「ほう」
「鳥瞰で村が出てきます。丘の上から見下ろしているのですが、電柱がありません。山に高圧線もありません。車も走っていません。道路標識もありません。オープンセットじゃありません。そんな場所がまだ残っていた時代なんでしょうねえ。その映画そのものが時代劇なんですよ」
「君のほうが面白い話をするねえ」
「いえいえ」
「私が見た時代劇では電柱が写っているし、遠くの方で車も走っていたよ」
「そんな映画はないでしょ。いくら何でも時代劇なのですから」
「テレビの時代劇だ」
「ああなるほど」
「しかしまあ、こういうたわいのない話ができるのは、悪い状態じゃないからだよ」
「平穏無事です」
「だから、一寸したことの中に、悪い前兆を見たりするのかもしれん」
「はい」
 
   了





2017年11月9日

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