小説 川崎サイト

 

何もないところからが本番

 
 何もない。これはまったく何もないのではなく、意味のあるものがないのだろう。テーブルの上に何も置いてなくても、顕微鏡で見れば何かあるだろう。傷があったり、シミがあったり。また禿げていたりする。しかしそんなものを見ていても仕方がないし、それを使って何かをするということもない。見る人にとり、それは有為なものではないためだろう。逆にいえば無為なものならあるということになる。
 物事においても使えそうなものと、使えそうではないものがある。またはギリギリで使えるが、あまりよくないもの。そういうものがあったとしても、あるにはあるが、あり方のレベルが違う。
 意味にはレベルがある。それを決めているのは本人や社会。本人の中にも社会があり、本人は使いたいのだが、それでは社会が許さなかったりするので、一般社会でも使えそうなもの以外は捨てることが多い。社会が緩めば、使えることもあるので、使えないものでも大事に仕舞っていたりする。
「まったくの白紙状態で、使えそうなものがもうないのです」
「でも、まだ何か残っているでしょ」
「あるにはあるのですがね。今一つ気に入らないので、使う気がしません」
「そこからが勝負ですよ」
「そうなんですか」
「使えそうなものがなくなってからが勝負なのです」
「勝負する気はありませんが」
「その勝負ではなく、そこからが実は本番なのです」
「じゃ、これまでは」
「使えそうなものの在庫があったからでしょ。それは次々に入ってくるかもしれませんが、使う方が多いと、在庫がなくなりかけます。なくはないのですが、あまりいいものは残っていないでしょ」
「それも尽きました」
「だから、そこからが勝負。そこからが本番なのです」
「在庫がないのに、どうしてこれからが本番なのですか」
「単純にいえば別のもの、今まで関心の薄かったものなどを、もう一度再考することですね」
「それもやりましたが、気が乗りません」
「別の意識に切り替える」
「それもやりました」
「じゃ、適当にやるしかないですよ」
「打つ手なしですね」
「だからそこからが本番なのです。同じことをいいますが、しつこいですが、ここからが真価を発揮することになりますから」
「何もないような状態ですよ」
「在庫の数に頼らないことですよ」
「在庫がなければ、何もできません」
「苦しいでしょうが、そこはもう自分勝手にやればいいのです」
「分かりました。もうやけくそです」
「しかし」
「はい」
「それで打開できますが、別の世界に入ります」
「はあ」
「殆どの人からは、相手にされず、そこで終わります」
「じゃ、無理にやっても、結果はよくないと」
「本人だけはいい感じでしょ」
「いい感じになれますか」
「楽しいと思いますよ」
「それはいい」
「本人だけです。本人だけ」
「はいはい。くどいですねえ」
「本人だけ」
 
   了



2017年11月10日

小説 川崎サイト