小説 川崎サイト

 

寸暇詐欺

 
 寸暇に何かをやり続けるということもあるが、この寸暇というのはわずかに空いた暇な時間ということだが、そんな空いた時間などないほど忙しく日々過ごしている人もいる。もし寸暇があれば休憩していたりする。暇というのは、今特にやることがなく、またやろうとしてもできない場所なり、タイミングのときだろうか。隙間時間などとそれを呼んでいる。
 寸暇を惜しんで働くとかもある。何らかの暇ができても、その時間がもったいないので、作業を続けるとかだ。ここは休憩してもいいところでも働く。食後の一服もなく、昼休みでも働くようなもの。これは良いことだとされているが、体を壊すだろう。それよりも、時間がないので休む暇がないのかもしれない。本人の意志ではなく。
 寸暇の寸とは長さだろう。一寸は三センチほど。だから三センチほどの間が空いたとき、五センチのものは入れられない。これは距離だが、時間としてみた場合、三分。だから三分でやれることを入れることができるが、三分ではカップラーメンに湯を入れて待つ程度の時間。普通はじっと待っているわけではないので、寸暇ができても他のことをしているだろう。
 このとき、今までの続きではなく、別のことを入れる。三分でできる別の用事を入れるといいのかもしれない。
 塵も積もれば山となるのだが、それでできた山も、塵なら仕方なかったりする。足場が弱く、登れないかもしれない。それに塵なので、風が持っていく。しかしある程度の固まりができる。
 しかし、寸暇を使って有益なことを続けた場合、それは価値になるかもしれない。有益なことほど面倒臭く、また難しい。しかし三分間だけなら辛抱できる。
 ただ、その有益さは本人だけが有益なものだと、あまり価値はないが、価値を決めるのは本人。それを価値だと認定すれば、それは価値あるものになる。ただ、これもなかなか認証しにくいものだ。価値があり、有益だからこそやりたくなかったりもする。
 寸借詐欺ではないが、寸暇詐欺をやっているようなものだろうか。
 好きなことを寸暇にやる。しかし、寸暇ではなく一日中やれるとなると、あまり好きではなくなるかもしれない。時間があればずっとそれを続けたいと思うものの、有り余ると、飽きてくる。僅かな時間だからこそよかったのかもしれない。
 逆に暇潰しのようなことばかりを一日中やっている場合、その暇潰しにも寸暇が空く。そこで有益なことをすればいい。
 
   了



2017年11月16日

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