小説 川崎サイト

 

裏通りの鍋焼きうどん

 
 雨が降っているときはさほどではなかったが、やんでから空気が変わったのか、寒くなってきた。もう冬の初め、下に落ちている葉の方が多い。
 友部はある手続きの用事を済ませたあと、中途半端な夕方の町を歩いていた。手続きを済ませたので、未来が拓けるかもしれないが、あとは本人次第。手続きそのものは難しくなかったので、その先の方が実際には難しく、ものになる人は限られているのだろう。
 しかし、この手続きは見せかけで、一応将来何になるのかを周囲に示すだけのもの。本当はそんなことはしたくなく、遊んで暮らしたかった。
 将来のことよりも今が寒い。いつもより早く起きたので、寝不足も加わっている。このまま戻って寝たりない分を補う方が賢明だ。
 駅は繁華街を抜けたところにあり、薄暗くなってきたためか、ネオンが映える。もう雨は上がっているのだが、滲んだように輝いている。
 一段落ついたこともあり、ここで遊んで帰ろうかとネオン看板などを見ている、ついつい誘われるのだが、腹が空きだした。寝不足のときは不思議と腹が空く。食べる量も多くなる。これは個人的なことだろう。
 ネオン通りから脇道を覗くと、そこも歓楽街の中なので、店屋が多い。日用品などを売っている店ではない。
 友部は体が冷えてきたので温かいものでも食べて帰ることにした。賢明な判断。そして健全。
 立ち食い蕎麦屋もあったが、今日は区切りの日なので、もう少し張り込んでもいいと思い、少し古い老舗らしい食堂へ入った。洋食屋ではなく和食屋。高そうな大衆食堂かもしれない。この路地だけは時代から遅れているのか、または一定の客がいるのか、潰れないで残っているようだ。
 鯉のぼりでも垂れ下がっているのかと思うような大きな暖簾をくぐり、店内に入ると、それなりに客がいる。食堂だが、そこで飲んでいるようだ。
 友部は壁の品書きを目で一つ一つ追っていると鍋焼きうどんが目に止まった。少し大きい目の手書き文字。値段は結構安い。しかし立ち食い蕎麦の数倍はするが、今日はケチくさいことは考えないことにする。手続きを終えた記念すべき日なので。
 出てきた鍋焼きうどんはアルミ鍋に入っていた。もう何回も使ったような鍋で、こ擦り傷があるし、焦げて色も変わっている。ただの食器ではなく、本当にこの鍋で煮込んだものだろう。
 少し離れたところでおでんの盛り合わせで一杯やっている男が、チラリと友部を見る。一杯飲み屋、縄のれん、酒の直販所などでよくいるような男。
 そして、目でメッセージを送ってきた。絡まれるようなことはしていない。
 友部は反射的にそのメッセージを受けた。といっても目礼しただけ。無視しなかった程度のメッセージを交わした程度。
 すると、男は友部の方へやってきた。四人掛けのテーブルだが、その横のテーブルに着き、話しかけてきた。
「いいよ」
 意味が分からない。
「じゃ、任せなよ」
 これも不明。
 何がスイッチになったのか、友部は考えた。変わったことは何もしていないので、この男が勝手に芸を始めたようなものだ。酔っているのだろう。
「じゃ、行こうか」
 何処へ。
「さあ、すぐに行きたいだろ」
 友部はここで訊ねてもいい「何がどうなのか」と。しかし、間を置いた。
 出るにしても、鍋焼きうどんをまだ食べ終えていない。しかし男は急がせた。
 友部はもう少し考えてみた。この店に入ってきてやったことといえば鍋焼きうどんを注文したこと。
 この鍋焼きうどんがスイッチになったのだろうか。これは合図のようなもので、鍋焼きうどんを食べることが、この男への合図になり、秘密めいたところへ連れて行く。
 しかし、それなら鍋焼きうどんを注文した客は全てそうなるだろう。
 やはりこのまま男を泳がせるとまずいと思い、何がどうなのかと聞いてみた。
 男はそこで挙動不審になり、訳の分からない言葉を呟きながら、元のテーブルに戻り、三角のコンニャクを囓りだした。
 これで、友部は鍋焼きうどんに集中できた。たまに男を見ると、目を合わす気はないのか、自分の世界に入り込んでいた。
 
   了



2017年11月17日

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