小説 川崎サイト

 

訳ありの女

 
 京都大原、晩秋、空は哀しいほど晴れ、木々が恥ずかしいほどに赤い。
 そこを訳ありらしき女性が野を行く。たまに立ち止まり、何やら思案。ふと前を見ると似たような訳ありの女性がいる。事情は違えど、こんなところに一人で来ていることが訳あり。
 さらにその先の道にも女性がポツリポツリと歩いている。その道沿いに昔の茶店のようなものがあり、赤い毛氈の腰掛け台にやはり似たような女が間隔を置いて座っている。
 その先に人の列が見える。いずれも訳ありの女で、大きなお寺の前まで続いている。その山門を潜ると境内はもう頭しか見えないほどの人人人。いずれも訳ありの女達。ものすごい数の訳があるのだろう。
 山門横に土産物屋が並び、そこに訳ありの店の看板。
 中に入ると、訳があるのは女ではなく、品物のようだ。そこに入った女は死んでいた目が生きる。ブランド品がもの凄く安い。これは何らかの事情で傷が付いたような訳あり品ではなく、偽ブランドだろう。
 その横に訳ありレストランがあり、これは流石に客は一人もいない。明らかに失敗してるため、近いうちに閉めるはず。
 訳ありの女達がその訳を話せる場所がある。占いの店だ。これも軒を連ねている。
 女一人大原での逍遙は無理で、ポツンと立てない。
 訳ありの女の情念が紅葉をさらに赤く燃やし、紅蓮の炎が天まで焦がす。しかし、これだけ多いと火事場の野次馬。
 三味や踊りは習いはするが、習わなくても女は泣けるらしく、どの訳ありの女も涙目。
 それはいいのだが、こうも頭数が多いと訳が分からない。
 
   了



2017年11月22日

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