小説 川崎サイト

 

そこには戻れない

 
「あの夢の奥には何があるのでしょうなあ。いや、奥ではなく、その周囲も」
「どんな夢を見られたのですか」
「喫茶店だと思います。しかも都会のど真ん中にある賑やかな。しかし込み入った場所で、店屋がごちゃごちゃとありまして、あれば地下街かもしれません。地下街の路地のような場所で、路地と路地とが交差する賑やかな場所です。人通りも多いのです」
「思い当たる場所はありますか」
「似たような場所は知っていますが、夢の中の喫茶店とはまた違います」
「そこで何をされていたのですか」
「友人達と集まってました。休憩で入ったのか、その店で集まるのが目的だったのかは分かりませんが、喫茶店なのに飲み屋のようになってました」
「知っている方ばかりですね」
「懐かしいような顔が何人かいましたが、懐かしいと思うだけで、それだけの印象で、何処の誰だかはっきりしません。知り合いとか友人とか、そういう人達なのでしょうねえ。今、思い出しても一人として名前が分かる人はいませんでした」
「懐かしいだけの顔ぶれですか」
「全く知らない人も座っていました。同じテーブルです。その横のテーブルにも人がいましたが、これも知り合いなのでしょうねえ」
「人物も分からないし、場所も特定できないわけですね」
「そうです。それで奥というのは喫茶店の奥じゃなく、店の外です。周囲はどうなっているのかに興味がいきました。ガラス張りの店なので、外が見えるのです。ちょうど交差しているところで、一方の通路の奥まで見えます。その奥は地下の大通り。これは地下鉄が近いのでしょうねえ、だらか人が通り過ぎるのがわずかに見えます」
「その駅も分からないのですね」
「はい、その近くに地下鉄の駅は複数ありまして。路線が違います。三つほど地下鉄があり、私鉄も地下に潜り込んでいますから、特定するには何か目印が必要なんです。せめてこの喫茶店の場所さえ分かれば、駅も分かるのですがね」
「そこで何をしていたのですか」
「雑談でしょうねえ。隣のテーブルの人を含めると八人ほどいます。それだけの人数で一緒に過ごすということは過去にも何度かありました。何かの寄り合いの帰りとか、これから団体で出掛ける前とか。または目的地がこの店で、ここで何らかの集会があるとか」
「オフ会じゃないのですか」
「え、ネットの」
「そうです。顔と名前が合わないし、名前もニックネームのまま。また始めて見る顔ばかりだとすれば、そんなものです」
「いや、リアルで合った覚えのある人もいました。誰だったのかは名前が出てきませんし、どこで合った人なのか、どういう関係の人なのかもさっぱりですが、それでも友好的な関係なのは確かで、みんなにこにこしています」
「まあ、そういう夢もあるのでしょう」
「この喫茶店のある地下街のような場所。この周辺がどうなっているのか知りたいのです」
「きっと夢の中の人物と同じで、何処かで見たような、懐かしい場所がずっと続いていると思いますよ」
「そうですねえ。確かにそこにいるのは私です。そして皆さん、私のことを知っている。非常に温かそうな雰囲気で」
「あなたがその集まりの主役でしたか」
「違います」
「何かが凝縮されているのでしょうねえ」
「年は何となく分かります。少し老けてきた若者だった頃です」
「一番いい時代だったのかもしれませんよ」
「そうですねえ。活気があり元気そうでした」
「三十前あたりですね」
「その前後だと思います」
「寝る前とかに何か若い頃のことを思い出したりしましたか」
「特にありませんが、古い動画を見ていました」
「動画」
「私がまだ二十代の頃にやっていたものです。懐かしさ一杯で見ていました」
「きっとその影響でしょ」
「そうなのかもしれません」
「そして過去の若い頃に戻ったのですが、ものすごく曖昧な場所だった。その地下街や喫茶店、登場する人達、そこへ戻ったのですが、そのものはもうないのでしょうねえ」
「はあ」
「だから雰囲気だけが、そこに漂っていたような夢じゃなかったのですか」
「そうです。懐かしいだけではなく、ものすごく居心地が良かったのです」
「そこへはもう戻れないのですよ」
「そうですねえ」
 
   了



2017年12月8日

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