小説 川崎サイト

 

眠り猫

 
 眠り猫が取り憑いたという少女がいる。おおよそどんなものか、それだけで分かるような話だ。
 少女はそれで不登校になり、眠り姫のように寝て暮らしていたが、そうそう眠れるものではない。それに始終眠り猫が作用しているわけではなく、朝方に多い。これは学校へ行くために起きないといけない時間帯にやってくる。それで起きることは起きても、まだ眠りから覚めきっていない状態で、動作が遅く、病んでいるのと変わらないほど身体も気も重いようだ。
 親は心配し、医者にも連れて行ったのだが、曖昧な症状のため、相手にされない。それは気の病ではないと言われ、精神医を紹介されたが、別に異常は見つからなかった。こういうものは異常だと思えばいくらでも異常さと結びつけ、それなりの病名を付けるのだが、この精神医、良心的なためか、ただ親から話を聞くだけ。少女にも二三質問するだけで、単に寝起きが悪いだけのことで済ませようとしたが、親はそこは何とかならないものかと心配顔。このままでは不登校が続くことを心配した。
 当然学校の先生が来て、事情を聞きに来たが、特に不登校の原因が家庭にも学校にもないようだ。だから単に目覚めが悪いだけなのかもしれない。しかし、朝の様子はがやはりきになりもう一度、あの良心的な精神医に相談した。こういう長話をじっと聞いてくれるような精神医なので、良心的だが、何でもかんでも薬を出さないためか、儲けは少ないようだ。
 親がそこまで言うのならということで、薬を与えようとしたが相手はまだ少女。これは副作用の方が心配になり、ある人を紹介した。
 少女が医者へ行ったのは昼間。このときは普通の少女だ。その状態の少女ではなく、朝の様子を見てもらわないと、ことの異常さが分かってもらえない。流石に精神医も朝のそんな早い時間に往診へは行けない。この精神医も実は寝起きが悪く、朝に弱い。それに往診はしていない。
 それで、ある老人を紹介した。彼なら行ってくれると。
 その老人も、実は朝が苦手なのだが、友人の精神医に頼まれたので、行くことになる。最近、この老人は仕事をしていないので、暇だったようだ。
 朝の早い時間、老人は少女宅を訪問した。
 少女は自室で眠っていたが、親が起こした。起きたときの様子をこの人に見せるためだ。少女に何かが取り憑いているのではないかと思うほど様子がおかしい状態を第三者に見せたかったのだろう。
 無理に起こされた少女は、応接間に現れた。目がうつろで焦点が定まらず、唇が震えているが、これは何かをつぶやいているらしいが、聞き取れない。口は動いているのだが、声を出していない。喉を使っていないのだ。
 老人は憑きものに詳しいらしく、少女の挙動をじっと見ていたが、すぐに判明したようだ。
「眠り猫の憑依ですな」
「はは」
「まあ、心配はいりません」
「でも、このままでは不登校が続き」
「心配ですかな」
「当然です。悪いものが憑いているのでしょ。祓ってくださいませんか」
「眠り猫を祓うには、まず眠り猫を起こさないといけません」
「はあ」
「それには時が必要です」
「あのう」
「何ですかな」
「この子は眠り猫じゃなく」
「じゃなく、何ですかな」
「何か嫌なことがあるので、学校へ行きたがらないだけのように思えます。赤ちゃんの頃からよくぐずる子でした。今もそうではないかと」
 少女は相変わらず瞼を閉じ、うとうとし始めている。
「お母さん、私は専門家です。これは妖怪眠り猫の仕業です」
 少女の瞼が少しだけ開く。
「でも」
「時が必要です。眠り猫を抜くには」
「あ、はい」
 老人は内ポケットから御札を出してきた。
「これを嬢ちゃんの部屋に貼りなされ。そのうち眠り猫は退散するでしょう」
「それは何の御札ですか」
「眠り猫を起こす呪文が書かれています。いかに眠り猫とはいえ、ずっと眠っているわけではありません。たまに目を覚まします。そのときこの御札を見ると、驚いて退散するでしょ。御札の文字は読めなくても、憑依していることがばれた程度は猫でも分かるからです」
「はい、やってみます。でもそういうことではなく、この子は」
「この子はそういうことなのです。妖怪眠り猫が憑いているだけ。簡単な話です」
「はい」
 少女はうとうとしていたが、老人が御札を置いて去るとき、少しだけ老人を見た。
 老人は軽く少女と目を合わせ、片目を少しだけ閉じた。少女はぽかんと老人を見ていたが、すぐに二階の階段を上っていった。
 老人が時が必要だと言った通り、ある時が来たとき、少女は普通に目覚めることができ、学校にも行きだした。
 親はあの精神医に電話した。
 老人が来た日、親は彼の名を聞いていなかったのだ。それでお礼がしたいと、紹介者の精神医に問い合わせた。
「彼ですか。名前ですか。私も知りません」
「呪術師ですか」
「いや、妖怪博士とその筋では呼ばれています」
 
   了




2017年12月9日

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