小説 川崎サイト

 

我が家の龍神様

 
「田村崎ですか。行ってませんなあ、最近」
 村の裏山を越えたところにある渓谷にも家があり、そこを田村崎と呼んでいる。独立した村ではない。もう住んでいる人は一世帯ほど。
「田村さんは生きているのでしょうかなあ」
 田村崎、川が二つに分かれる先端箇所に住む田村家のことだが、この集落は全員田村姓。全員田村さんで、今は本家しか残っていない。そのため、田村さんと言えば当主の老人を差す。この人の子供や孫は、都会へと引っ越した。
「たまには様子を見に行った方がよろしいかと」
 田村老は始終村に来るのだが、最近姿を見かけない。村と田村崎は近い。山一つ向こう。そして大した山ではない。村はずれを流れる川は田村崎近くで渓谷となり、道はない。昔は船で行き来していた。
 そのため、田村老は山を越えてくる。実際にはその方が早いのだ。
「見に行きましょうか」
「そうですなあ」
 田村家は村に馴染まず、裏山の向こうに引っ越した人。田村崎から上流に、少しだけ川岸が広く、山の斜面も穏やかなところがある。わずかな余地だが、田畑が昔あり、そこにも一軒、家があった。そちらに村落を作る予定だったが、川が荒い。田村崎は渓谷にあるのだが、高い場所にあるため、そこの方が安全。田畑まで船でも通えるので、問題はなかった。
 二人の村人。これは世話人のようなものだが、裏山を登り、下を見下ろした。田村崎の先端にある田村本家は古くて大きい。裏山からもよく見える。
 田村老は金銭的には困っていない。そのため野良には出ていない。息子達からの仕送りで十分やっていける。その息子達ももう初老だが。
「どうして出ないのでしょうなあ」
「生まれ育ったふるさとだからでしょう」
「ああなるほど」
 田村家は村八分ではない。本家は元々村内にあったのだが、あの渓谷がよほど気に入ったのか、そこに越した。わざわざ不便なところへ。
 そのため、他の村人との相性が悪かったのではないかと言われているが、そうでもないらしい。
 もし田村老が亡くなれば、長男が田村崎を引き継ぐことになる。つまり、渓谷暮らしをするということだ。本家ごと引っ越せばいいことなのだが、どうしてもそれはできないらしい。
「降りてみましょうか」
「そうですなあ」
 二人は裏山の斜面を下る。ここは手の入った道で、傾斜がきつい場所を避けるように通っている。
 坂を下ると、廃屋が並んでいる。朽ちるままに任せており、草や灌木が半分以上家を飲み込んでいる。その奥の突き出したところに本家がある。村の農家よりも大きく、三階建て。屋根瓦は黒々としており、古くなれば吹き替えているのだろう。
 村からは渓谷が狭く、水しか通れないが、田村崎から上流は川岸が広くなり、田畑があったほど。川沿いに道ができている。それをずっと遡れば、昔の山街道。今の幹線道路にぶつかる。だから、車で田村崎まで入り込める。しかし、車で村からその幹線道路まで出て、そこから細い川沿いの道を走るより、裏山を歩いて超えた方が時間的には早い。
 二人の世話人は本家の門が閉まっているので、呼び鈴を押す。田村家の人しか住んでいない村なのだが、今は一人暮らしの老人がいるだけ。そのため物騒なのだ。その気になれば、いくらでも入り込める。
 田村老が勝手口を開け、庭先の縁側へ案内した。
「村へ戻ってはいかがですかな」
「そう思うのですが、ここは守らないといけないのです」
「龍神様ですか」
「そうです」
 こういう渓谷には、よく水と関係のあるものが祭られている。 
 田村家がここに住み着いたとき、断崖の水際に小さなくぼみがあり、その中に平たい石が入っていた。その辺にあるような石だが、断面が平らで、絵が刻まれていた。鋭い歯が無数あり、尻尾がある。これは龍だろうと思い、龍神さんとして、転んでいたので立てた。小さな穴なので、人は入れない。間口も狭く、奥行きもない。
 自然にできた箱のようなものなので、これを祠のように、格子をはめ込んだ。
 田村家の氏神はよく分からない。先祖をたどっても古くまでは無理で、分かっている先祖でも、その地が出身地でもないようで、西から流れてきたらしい。名家ではないので家系図もない。
 村から独立して、村の離れのようなところに住み着いたわけではないが、村に神社があり、氏神様がいるように、裏山の小さな土地にも、それがあればいいという程度で、この龍神を氏神とした。それを代々祭っている。それは当主の役目で、神主のようなもの。そんな衣装は用意していないが、代を重ねるうちに家族も増え、家も増えた。一寸した村落になったのだ。
「じっちゃん、その氏神様、わしらにも拝ましてくれんかなあ」
 その頃、渓谷の危ないところにあった御神体ともいえるその平たい石は本家の庭に移されていた。危ない場所なので、お参りに行けないためだ。
 それを見た一人の世話人が、「じっちゃん、こりゃ、龍やのうて歯の鋭いサンショウウオじゃ」と言ったので、田村老は驚いた。誰にも見せない御神体の石ではなく、誰も見る気などなかったのだろう。
「いや、サンショウウオやのうて、これはワニと違いますか」
もう一人が言う。
 村人も、滅多にこの渓谷に入り込まない。用がないためだ。
 この川をもう少し遡ったところに、昔の石切場跡や、簡単な古墳が残っている。ただの古代人の墓だ。壺の中に埋葬されている。
 世話人が言ったのは当たっており、ワニが刻まれているのは確か。しかし、ワニなど国内にはいないので、サメかイルカではないかと思うのだが、海からは離れすぎている。
 要するに川の神様としてのワニなのだ。うんと昔、この川は道だったのだろう。つまり川船が行き来していた。また、魚も多くいたのだろう。運航の安全を願って、渓谷の崖沿いに祭っていたのかもしれない。
 しかし、田村家では代々当主が祭司になり、このインドあたりの川から来た異国の神様を祭っていたことになる。田村家の氏神様として。
 田村老がなくなったあと、長男が跡を継いだが、次の代は、もうここへは戻ってこなかった。
 しかし、下流からは入れないが、上流からの道があるため、そこは舗装され、本家屋敷は改築され、何かの施設になった。今でも、表側の村から裏山を越えた方が早いのだが、トンネルを掘ってまで行くような場所ではないため、計画さえなかった。
 そして、あのワニを刻んだ石はどうなったのかというと、庭はそのまま残され、犬小屋のような祠も、そのまま庭園化されたため、古民家風にしっかりと残っている。
 
   了




2017年12月23日

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