小説 川崎サイト

 

平賀の森の石組み

 
 平賀の森というのがある。平地の森ではなく、山の中。そのためただ単に木が生い茂る場所なのだが、そこは原生林。直ぐ近くの山々はほぼ植林で、杉ばかりとか、檜ばかりが生えているが、平賀の森は人が入らない。地元の人達といっても、かなり離れた村しかないのだが、言い伝えがある。そんなものはいくら破ってもかまわない。入らずの山や森でも、いくらでも人は踏み込んでいる。
 幸いこの平賀の森は植林以外に利用方法がない。そしてそこへたどり着くまでの道が遠く、伐った木を運ぶのは大変だろう。そんな奥まで来なくても、里から近いところに、いくらでも山があり、事足りている。
 平賀の森は緩やかなV字型の谷間だ。猟師もここまでは入り込まない。言い伝えもあるが、遠すぎるのだ。
 城の天守閣にでも使えそうな巨木もある。しかし運び出すルートが難しい。谷間だが水がない。つまり川がない。平賀の森に一番近い川まで運ぶには相当の人手と時間がかかる。
 人が立ち入らないといっても、入り込む人はいる。猟師が迷い込んだり、ハイカーが入り込むことがある。高い山を踏破するのではなく、こういったまだ木が茂る高さの山を見て回る山登りもある。山周りと言ってもいい。
 航空写真で平賀の森を見ることはできるが、逆に上からでは樹木の頭しか見えない。何かのセンサーを積んでおれば、別だろうが。
 言い伝えと関係する何かがそこにある。誰かが住んでいたことは確かで、人工的な石組みがある。こんな山奥で城や砦などは建てないだろう。
 高い山より、樹木で覆われたこういった山の方が目立たない。
 山賊の住みかにしては、里が遠すぎ、便が悪い。ここへたどり着くまで時間がかかりすぎる。隠れ家にはふさわしいが、利便性が悪すぎる。
 言い伝えはよくある話で、国があったようだ。古代の国。卑弥呼の時代よりもっと古い。縄文時代をさらに遡るのではないかと言われているが、これは勝手に言っているだけで、眉唾物だろう。
 先住民のようなものだが、その人達も何処かから渡って来たのだろうか。里の人達は地元の人達だが、千年も辿れない。しかし、数百年続けば、地の人達になるが、それでも入れ替わることが多いはず。
 言い伝えはそれだけで、いにしえの人の国だから、よそ者は入ってはいけないというだけ。地元の人も、ここではよそ者。これは遠すぎるためだろう。せいぜい里山あたりまでが縄張りで、そこから先のさらに先にある平賀の森など、もう異国だ。
 平賀の森に入り込む人は、そのほかにも野生動物を研究している人や、植物や地形や地質の専門家程度。これはハイカーのような遊びではない。
 それらの人が入り込んでも、別に祟りはない。考古学や古代史に強い人が、その石組みを見ても、それ以上のことは分からないらしい。その辺にある石を使っているためだ。
 山の頂に石が組まれていることがある。これは通信装置だと言われている。また遠くからその石を見たとき、夕日が反射し、何らかの神秘を感じる程度。これは儀式に使われたような説もある。
 しかし、平賀の森の石組みは谷にある。そして石垣でもなく建物の跡でもない。
 結局何も分からないし。古代文明の跡だとする人もいるが、石が人工的に組まれている程度で、組み方は素朴で、そこから年代を推定するのは手間だろう。何のためにそんなことをしたのかは謎のまま。意外と組まれたのは数百年程度前かもしれないが。
 ここは植林されていない国有林で、今は自然林のためか、保存地域に指定されている。
 石組みだけがぽつりとあり、関連するような他のものもないので、孤立した状態なので、それ以上広げる翼はない。
 しかし、里の人がどうして入らずの森と指定しているのかも謎なのだ。どうして知ったのか。村から遙か彼方にあるのに。
 これは猟師達が、古くから、そう感じるところがあったのか、または熊に襲われ等々、悪いことに遭遇することがあったので、それが広がったのかもしれない。石組みの跡と関係なく。
 また、この地方では、悪いことをする子供に「平賀の森に捨てて帰るぞ」とか「平賀の森から鬼が来るぞ」などの迷信も残っている。
 そういった異界が必要だったのかもしれない。
 
   了


2017年12月24日

小説 川崎サイト