小説 川崎サイト

 

正月様の御旅所

 
「正月も過ぎましたなあ」
「いや、まだ松の内ですよ」
「え、いつまでですか」
「七日か十五日までは正月ですよ。それに私なんて一月を正月と思っていますから、月末までです」
「それは長いですなあ」
「まあ、門松が取れれば正月は終わりですがね」
「今日はまだ三日目。これで終わるのかと思いましたが、まだ三日目なんだ」
「正月三が日というやつです。まあ、この三日間だけでしょ。正月気分でいていいのは」
「正月様は来ましたか?」
「何ですかそれは、年神さんのことですかな」
「うちの田舎では正月様と呼んでます。表からではなく裏から来ます。竈に来ますから、炊事場にお供え物をするのです。餅とか蜜柑とか」
「じゃ、家単位の神様ですなあ。うちでは年神さんと言って、新年を持ってくる神様です」
「干支とはまた違うのですか。今年は戌年なので、犬が年神様ではだめですか」
「それじゃ犬神様になってしまいます」
「どちらにしても、神社などへ行かなくても来てくれるんですね、神様が。もう正月様のお供えはしませんし、普通のその辺の神社へ参ってますよ。来てくれるのなら行かなくてもいいんだけど、田舎の話で、ここには来てくれないかもしれません」
「そうですねえ。元旦に神社などには昔は行かなかったようですよ。あんなに大勢の人が一気に行くなんてのは最近の話かもしれません。まあ、誰にでも新年は来ますからね。神様から来てくれます」
「そうですなあ」
「ところで初詣へは行かれましたか」
「夜中に行きました。日が分かり、年が変わってすぐに」
「それは素早い。寒いし、眠いでしょ」
「いや、年越しのときは夜更かしになりますよ。夜中の二時か三時になるとだれてきますがね」
「初詣は何処へ」
「これは私が信仰している祠です」
「ほう」
「長い間、祠だと思っていたのですが、物入れでした。小さな小屋でした。中には入れませんがね」
「何の小屋です」
「農具でも入れておくんでしょうなあ」
「はあ」
「田んぼの横にありましてね。畦道沿いです。私はずっとそれが地蔵でも祭ってあるのだと思っていましたが、そうじゃなかった。それに使っていないのか、放置状態。休耕田です。こういうのは家庭菜園に切り替わることが多いのですが、そのまま放置です。だから野原のようになってましたね。そこに祠。これはいい景色だ」
「はい」
「それで、ただの物置だと分かってからでも初詣は、ずっとそこでやってます」
「でも神様はいないのでしょ」
「ところが私と同じようにお参りに来る人がいるのですよ。丑三つ時前でしょうかなあ」
「その人も物置だと分かっていて来るわけですか」
「犬小屋のような大きさです。ポンプとか、モーターとかそういったものが入っているような。錆びちゃまずいようなね」
「その人もあなたと同じように祠だと思って来るのですかな」
「いや、物置だと最初から知っているようです」
「ほう、じゃ、なぜお参りに」
「訳を聞くと神様の御旅所なんです」
「御旅所」
「休憩所のようなものです」
「ほう」
「この辺りに来る様は、ここで休憩するらしいです。だから正月様が来てくれる前に、ここで正月様に挨拶するとか」
「でもその物置、昔からはないでしょ」
「そうです。しかし、良い場所なので、使うようになったのでしょ。祠の大きさから考えて、かなり小さな神様のようです」
「じゃ、その物置がなくなると、別の場所へ」
「そうでしょうなあ」
「珍しい話ですねえ。有り難うございました」
「嘘ですよ」
「ああ、いけませんなあ、正月から嘘は」
「でも普通の神社も、そういった嘘の固まりじゃありませんか」
「はいはい」
 
   了

 


2018年1月5日

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