小説 川崎サイト

 

ある交渉

 
「彦左衛門が出てきたか」
「はい、これはちょっと」
 彦左衛門とは隣村の実力者。彼がわざわざ出てくるのだから、これは重要なことだろう。
 隣村との揉め事があり、その話し合いだ。
「こちらは誰を出しましょう」
「村おさを出すまでもあるまい。それにまだ若い」
「では庄蔵さんが」
「わしか、わしは彦左衛門が苦手でな。相性が悪い。いつも言いくるめられる」
「では」
「お前が行け」
「私はそれほどの力はありません。彦左衛門とは渡り合えません」
「困ったなあ」
「先生にお願いしては」
「あの先生か」
「浪人とはいえ御武家。格は百姓の庄左衛門とは違います」
「あの先生は、ちょっとなあ」
「武芸はだめですが、学者です」
「まだ寺におるのか」
「もう長いです。この村で落ち着きたいともいっております」
「あの御仁に村のことが分かるのか」
「揉め事は猟師の人数でしょ」
「こちらが大勢出し過ぎた」
「取り決め違反ですから」
「その程度の問題なら、先生でもいいか」
「弁舌は立ちます。漢文で喋ります」
「漢語ができるのか」
「はい。ただの漢学者ではありません」
「通訳をやっていたとか。それで逃げたとか」
「逃げた。上手く話せないので逃げたのか」
「密貿易です。その通訳です」
「それで見付かって逃げたのか」
「はい」
「悪くはない」
「そうでしょ。そういう荒事をこなせる先生ですから。猟師の人数を減らしてくれというような話し合いなど簡単でしょ」
「じゃ、頼むか。こういうときは癖の強い者を出すに限る」
「で、聞き入れますか」
「約束違反だからな。一応聞き入れる。猟などこっそりやればいいのじゃ。向こうもそれをやっておるくせにな」
「はい、先生なら彦左衛門と渡り合えましょう」
「しかし、なぜ彦左衛門が来るのじゃ。猟の話ではなく、別のことで来るのではないのかな」
「そうですねえ。表向きとは別の用件で」
「それなら村おさを出す必要があるが」
「若いので、そのあたりの勘が働きません」
「じゃ、わしがやはり出るか」
「先生は」
「本当は猟の話ではなさそうなので、わしが出る」
「それがよろしいかと」
「しかし庄右衛門が苦手でなあ」
 こういう話し合いは一対一ではしない。
「じゃ、先生を付けましょう」
「そうして貰うと有り難い」
「では、そのように計らいます」
「うむ」
 
   了

 


2018年1月6日

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