小説 川崎サイト

 

日向ぼっこ

 
 縁側に日が差し、座敷の一部にも日が入り込んでいる。その中間に蒲団がある。庭で干していた蒲団を取り入れたままのようだ。
 大村はそこに寝そべり、庭から見える明るい空を眺めている。そのうちウトウトし始めた。
 大村が覚えている至福のときというのは、そんな感じで、まだ物心が付くか付かない頃だろう。もの凄く古い記憶として覚えている。それ以前の記憶になると曖昧で、明快な絵は描けない。
 冬の小春日和、大村は座っていたベンチでふとその頃を思い出した。もう大村は老人。
 あの縁側での蒲団の上に匹敵するような至福感はその後なかったように思える。色々なことで喜んだり、楽しんだりしたが、単に取り入れた蒲団の上に転がっているというような単純なものではない。意味が色々と詰まっている。達成感とか、いい偶然とか。
 しかし、あの蒲団の上を越えられない。その蒲団は暖かい空自を吸い込んで倍ほど膨れているように見えた。そのためボリュームがあり、柔らかい。
 当時、それを幸せなこととして受け止めながら転んでいたわけではない。それに幸せとか至福とかの言葉も知らなかっただろう。
 ではいつ頃、それが至福のときだと思うようになったかだ。それは二十歳前後だろう。
 その後、年寄りになるまで、それを思い続けている。一番いい例として。
 ただ、大人になると、同じ条件で転がっても何もないだろう。親なら注意するところだ。
 大村は周囲に誰もいないことを確かめて、ベンチで横になった。蒲団とベンチとの差はあるが、悪いものではない。しかし、もの凄く幸せな気分にもなれないが。
 夏の日とはいえ、遮るものがないので、流石に暑くなってきた。
 それで座り直し、またあの蒲団のことを思い返す。これは何度もやっているので、それ以上の記憶は呼び出せない。
 流石に日に当たりすぎたのか、日向ぼっこを中止し、帰ることにした。
 もの凄く簡単なものなのだが、二度と体験できないこともあるようだ。
 
   了
 
 


2018年1月18日

小説 川崎サイト