小説 川崎サイト

 

平穏な日々

 
 平穏な日々とは過ぎ去ってからでないと分からないかもしれない。平穏な日々を思うのはそうではないときに多い。つまり平穏ではない日に平穏な日々を思うのだろうか。平穏な日々を過ごしているときは、それが平穏だとは思っていないかもしれない。退屈で刺激がないとまではいわないが、それなりに小さな出来事があり、少しだけ日常も乱したり、またいつも通り行かないトラブルもある。それらはその日のうちに解決していることが多い。転んで擦り傷を負ったときなどは、それが治るまでしばらく日数が掛かるだろうが、かすり傷程度で済めば大事に至ったり、その後、尾を引くようなこともなければ平穏はすぐに戻ってくる。
 平穏ではない日々というのは、解決の見通しが立たないなどの先に対する不安が含まれるため、平穏ではいられない。これももの凄く遠い未来なら別だが、近々やってきそうな嫌なことが予想できる場合、平穏は崩される。しかし、それも慣れてくると、日常化していくのだろうが、その前まで過ごしていた日々がもの凄く平穏に見える。
 平穏とは受け取り方が違うが、先への見通しが明るい頃などは、いい日々だろう。ここでは平穏さよりも、未来への期待の方が大きい。それを得られる可能性が高いと、日常が多少乱れても何ともない。よりいいものが手に入るためだ。
 平穏ではない日々から、平穏な日々へ至る峠道がいい。平穏さを感じるのは、そのときかもしれない。そして平穏な日々がまた続くのだが、もう有り難さはない。
 夢や希望は絵空事の想像だけでは無理で、実現できる可能性があるときに、それが実感できる。夢があるとかないとかは、実現できそうなものがあるかどうかで、夢の規模ではない。それは些細なことでもいい。
 実現できない夢や希望もある。この場合、一歩でも近付ければ、それなりの納得の仕方で、夢を果たしたことにはならないが、前進したという達成感程度はあるだろう。
 むしろ夢や希望を果たしてしまった方が厳しいかもしれない。
 平穏な日々は、あまり夢や希望を必要としない。
 
   了

 


2018年1月20日

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