小説 川崎サイト

 

のんのんさん

 
 山道の枝道をのんきそうな顔をした人が下ってくる。小林はその枝道は知っているが、行き止まりになるため、ハイキングの道としてはふさわしくないので、入り込んだことはない。笹が狭い道をさらに狭くし、割れ目程度に細くなりながら上へと続いている。
 のんきそうな顔。これは小林の主観。何かいいことがあっての笑顔ではなく、初期値がそんな顔の人に見えた。笑顔とのんきさとを結びつけたのは小林の経験から来ていることで、心配事などないのか、にやにやしている人。
 町から離れたハイキングコースなので、近くの人といっても、里まではかなり離れている。しかし、そののんきそうな人はハイカーの姿ではなく、庭先に出る程度の服装。
 目が合ったのか、やあ、と手を軽くその人は上げる。小林はそのまま枝道前を通り過ぎてもよかったのだが、下ってくるまで待った。
「上に何かありますか」
 坂道の上は山の瘤のようなところで、その裏側は絶壁に近い。真下は川。川に沿った道はない。
「のんのんさんですよ」
「ノンノン」
「アンアンじゃないですぞ」
「のんのん婆さんというのは聞いたことがありますが」
「アンアンとかマンマンとか、何処にでもある呼び方ですがな」
「上にそんなものが祭られているのですか」
「石だけしかありませんがな」
「のんのん石」
「そんな呼び名はありませんが」
「のんのんさんとは何でしょう」
「幸せを呼ぶ神様ですよ」
「そうですねえ。災いをもたらす神様に参る人もいませんが」
「いや、神様そのものが災いの元でしてた。荒神さんなんてそうでしょ。アラブル神です」
「荒れた神と書きますね」
「だから、それをお鎮めするのですよ。そうすると逆におつりが来る。お礼ですがな。よく祭ってくれたとね」
「じゃ、幸せを招くのんのんさんは」
「ほう、勘の鋭い青年じゃ」
「逆になるわけですね」
「その通り」
「じゃ、幸せの神様を鎮めるわけですから、不幸になる」
「察しがいいのう」
「ではどうして、そんな神様をお参りするのですか」
「だから、誰も参っておらんから、上には何もない。石があるだけ。わしは天邪鬼なんでな。逆にそういう神様に参るのじゃよ」
「それがのんのんさんですか」
「そうじゃ」
「わざわざ不幸になるような行為を」
「わしゃ、幸せが似合わんでな」
「しかし、にこやかなお顔ですが」
「そこなんじゃ」
「はい」
「のんのんさんにお参りしてるからいい顔になったんじゃない。これは生まれつきらしい」
「いいお顔です」
「顔とは不釣り合い。ずっと不幸なまま」
「はあ。しかし、幸福感というのは主観ですから」
「難しいことを言うなあ」
「幸せそうなお顔です。だからのんのん様の御利益が出ているのでは」
「幸せの神様は不幸をもたらす。だから、それはありえん」
「考えすぎですよ」
「そうかのう」
 男は、にこやかな顔のまま本道を下っていった。
 青年はその枝道を登った。
 山というより、そこだけ盛り上がっている程度。笹と松に覆われ、岩が多い。頂上といっても大きな岩が天を向いている。だから頂上に登るには、岩登りが必要なほど。その岩の横から下を見ると、切り立った崖。当然行き止まりなので、ハイキングコースには不向き。引き返さないといけないので。
 のんのんさんのようなものはない。漬け物石程度のものがあると思っていたのだが、探しても見つからない。
 のんのんさんを祭ったあとのようなものも見当たらない。あの人は、ここで何をしていたのだろう。
 小さい目の岩の隙間に煙草の吸い殻がある。あの人が吸ったものだろうか。まだフィルターが白い。古い吸い殻もある。
 のんのんさんがどうのこうの話ではなく、あののんきそうな人、ここではどんな顔をしていたのかと想像すると、少しリアルな気持ちになってしまった。
 
   了
 


2018年1月25日

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