小説 川崎サイト

 

汁を出す

 
 一つのことが終わると、一つのことが始まる。遭うは別れのはじめという言葉もある。終わりよければすべてよしというのもある。確かに終わればそれで終わってしまうわけではなく、その次がある。これは常に何かに向かっているということだろうか。その向かい先が終わりであっても。
 これは終わらせたいというのが目的なら、終わりは早く来る方がいい。当然終わりにしたくない、終わらせたくないこともある。また始めがなかったりすることもある。これは自然に始まっていたとか、最初からその途中だったとか、また意識的に始めていなかったとか。
 嫌なことは早く終わらせたいが、そうすると、次に嫌なことがすぐに来てしまう。そういう順番になっている場合だが。
 今の嫌なことよりも、それが終わってから来る次の嫌なことの方が大きい場合、今の嫌なことを長引かせておき、終わらせないようにする方が、楽な場合もある。
 良いことが終わったあとは、悪いことが来そうな場合も、良いことを長引かそうとするが、良いことは長くは続かないので、そのうち終わってしまう。そのため良いことが起こりそうな種をまき続けるのも方法だ。しかしこれは良いことを欲張っているのかもしれない。
 悪いことが終わると、良いことが訪れるわけではないが、悪いことが去れば普通に戻るだろう。悪いことが続いていた頃に比べれば、良いことなどなくても、有り難い話だ。
 始まりはあるが、終わりがないのもある。始めたが、途中で放置したような例。これはいくらでもある。しかし終わりがないわけではなく、放置したことが終わりになる。
 何かが終われば、次のことを目論む。まるで酒のあてを探しているように。
 人の欲というのは際限ないが、そういうことを知っているだけに、それを封じるのではなく、それなりに活かせばいいのだが、欲というのは情緒的なもので、頭の中の何処かが刺激され、それが快感を呼ぶため、自然と欲望の汁が出てくる。
 実際には単純な話なのだが、それでは何なので、色々と理屈を付けたり、名分を付けたり、主義主張レベルにまで持ち込むのだろうか。本当は個人の頭の中の、一寸した快感が元だったとしても。
 一つのことが終われば一つのことが始まるのは、その汁のなせる技かもしれない。
 
   了


2018年1月27日

小説 川崎サイト