世界認識
どの人の世界も一定の大きさがあり、これは小さいも大きいもない。同じ大きさであり、同じ小ささ。世界の量が限られているためだ。
大宇宙の果てにある小さな星を知っていても、自分の家の前にある小道の石までは知らない。
大都会を知っていても、更地になった草むらの雑草の名は知らない。多くの道を知っている人も、路地裏の横にある小道は知らない。
世界の量は同じなのかもしれない。これは二人でなら倍になりそうだが、重なっている箇所もある。それを差し引いても、倍にはならない。同じ世界を見ていないためだろう。
多くのことを知っている人も、これにも限りがあり、頭の中にそれほど入らない。そしてそういった世界は記憶の中にあるのだが、その記憶は思い出す機会が減ると、減ってしまう。
「また妙なことを考えていますねえ、竹田君」
「いや、これは昔から思っていることなのです。特に調べたわけではないのです」
「記憶とは何かという話ですか」
「世界とは何かです」
「それは、ここではふさわしくないテーマです。これは誰にも分からないことですから」
「はい」
「もっと分かることを研究テーマにしなさい」
「でも、既に分かっていることでは」
「分かっていることも、実はよく分からないのですよ」
「そうですねえ」
「それより竹田君、君は研究テーマを変えすぎじゃありませんか、毎回テーマが違います。一つのことをじっくりとやりなさい。そうすれば、実績が付きます。そんな八百屋のように品が多いと、専門性というものがない」
「はあ、つい目移りするもので」
「それよりも、君の世界とは何だと思いますか」
「僕の世界ですか」
「そうです」
「全部が自分の世界です」
「というより、自分を通してでないと世界は現れない」
「そこなんです。それを研究したいと」
「そういうのは古典です」
「既にあるのですか」
「人が思い付くようなことは、ほとんどあります」
「じゃ、焼き直しになりますねえ」
「いや、同じことを言うにしても、コースというのがあります」
「コース」
「頂上までの道はいくつもあります」
「それもよく聞きますが」
「それもまた古典ですがね」
「じゃ、古典の勉強をするのが良いのでしょうか」
「それじゃ新味がない。だから、自分の世界から見た昔の人達の考え方などを読み替えなさい」
「ああ、あまり本を読むのは得意じゃ」
「じゃ、何が得意なのですか」
「空想です」
「ク、クウソウ。そんな子供のような」
「妄想に近いことをしたいのです」
「どうしてですかな」
「古典を読むと、それに影響されて」
「そうですねえ、昔の人の地図通りに進んでしまいますからね」
「はい」
「しかし、昔の偉人が言った言葉も決して固定したものじゃないでしょ。原文を読めば分かるはずです。結構あやふやで、曖昧なものがありますよ。本人もよく分からないまま、ふらふらしていますよ」
「そのタイプが良いです。決め言葉で決めないで」
「だから、決まらないと言うことを言っているだけの人もいます」
「ああ、それそれ、その方面が好みです」
「しかし、それは寝言に近いですからねえ」
「はあ」
「世界は人の分だけあると言ってしまうと、これは禁じ手に近くなります。だからそちらはやめておきなさい」
「それは昔の人も言ってますか」
「言ってます」
「じゃ、別のを考えます」
「それよりも、研究テーマを固定しなさい。毎回違うことを言ってるようでは、困ります」
「はい」
了
2018年2月4日